大正世代 大正世代生まれの成長過程と人生

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大正世代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 13:47 UTC 版)

大正世代生まれの成長過程と人生

昭和時代の青年期

青年期になり、大学生などのインテリ層や労働者の中には自由主義を唱えたり社会主義思想に共感を持ち、学生運動をするなどリベラルな思想を持っていた世代であったが、青年期に、国粋主義者や大日本帝国陸軍による五・一五事件二・二六事件などのテロによって政友会民政党の2大政党による政党政治が崩壊して、大正デモクラシーから昭和時代になり軍国主義の日本となった。世界恐慌による就職難の時代であり、1932年(昭和7年)の失業率は6.9%まで上り、「就職氷河期」の同義語に当たる「大学は出たけれど」が流行語になった。中でも、高等小学校を出た大正一桁生まれは、軒並み就職難に遭遇した。冷害の年が続いた為、寒冷地の農村では「娘の身売り」が社会問題に発展した。

中年期

男性のサラリーマン化が進み、団塊の世代として誕生した息子の進路と進学状況は、富裕層やサラリーマン層の家庭では高校や大学に息子を進学させて、娘には短期大学女子大学に進学させた親や家庭がいる一方で、農家や貧困家庭では、中学卒業や高校卒業の「金の卵」と呼ばれる労働者(「集団就職」も参照)になる家庭に分かれた。また、当時は地方を中心に「女に学問はいらない」という考えも残っていたため、息子は大学に進学させても娘は高卒止まりという家庭も少なくなかった。

高齢期

総人口は大正時代が15年間の短期間であったのが理由で明治生まれより少なく、1945年(昭和20年)の時点で大正世代より明治生まれと昭和生まれの方が総人口が多かった。1977年(昭和52年)7月には大正生まれの最年長者が65歳になって高齢者の仲間入りをし、1991年(平成3年)までに大正世代は全員が高齢者となった。平成時代の期間内に大部分が死亡したものの、2010年代から令和初期の2020年代にかけて、皇族では三笠宮崇仁親王と三笠宮百合子妃殿下夫妻や元総理大臣では中曽根康弘元首相及び村山富市元首相がジャスコ経営者の小嶋千鶴子が100歳以上の長寿者となった。それまで、戦後一貫して軍事対象の恩給や戦死者を対象とする遺族年金の受給があり、陸軍同窓会と海軍同窓会と反省会が開かれていた。

定年・引退

1972年(昭和47年)頃に大正初期世代の1912年(大正元年)生まれが定年を迎え始めて(当時は55歳定年の企業も多かったので数年ほど早く定年を迎えた者もいる)、1986年(昭和61年)頃に大正末期世代の1926年(大正15年)生まれが定年を迎えて、1972年(昭和47年)から1986年(昭和61年)の高度成長期後からバブル経済期までの安定成長期間内に大正世代が年金生活者となり、昭和末期のバブル期に大正世代は全員が定年を迎えて平成初期にかける時期に政治界と経済界では昭和一桁生まれ世代と世代交代した。年金運用は大正世代までは子供数が4人から6人の複数で黒字化していた。1987年(昭和62年)から2001年(平成13年)のバブル期から平成不況期にかけての時期に大正世代は後期高齢者となった。女性の平均寿命は大正生まれが後期高齢者になる前の1984年(昭和59年)に既に80歳を超えており、男性の平均寿命は1971年(昭和46年)に70歳を超えてからは、2013年(平成25年)に80歳を超えるまでの間は長らく70歳台であったので、大正生まれの平均寿命は男性が70歳台、女性は80歳台で推移した。

2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で、最後の大正生まれの国会議員の中山太郎が落選して大正世代の国会議員がいなくなり全国会議員が昭和生まれとなった。

なお、次の世代である昭和一桁世代は、男性が短命である[13]

大正一桁生まれは2020年で全員100歳を迎え、大正生まれは2021年で95歳以上となっている。最年長である大正元年生まれは2022年8月には110歳の大台を迎えた。男性は2019年頃、女性は2021年頃より都道府県の最高齢者が大正生まれとなるケースが出始めた[14]。2024年4月に国内最高齢男性であった薗部儀三郎が亡くなったことが判明したため、確認できる国内最高齢の男性は大正生まれとなった[15]


  1. ^ 1912年7月30日は明治45年生まれと大正元年生まれが重複。1926年12月25日は大正15年生まれと昭和元年生まれが重複するが両日とも大正生まれの大正世代に含む。
  2. ^ http://ncode.syosetu.com/n2420f/3/
  3. ^ 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』「大正世代」 (産経新聞社、2002年)194頁〜195頁の大震災襲来の項目
  4. ^ http://ncode.syosetu.com/n2420f/4/
  5. ^ 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』「大正世代」 (産経新聞社、2002年)136頁〜139頁の理想の學校づくり-個性尊重かかげて次々と産声の項目
  6. ^ 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』「大正世代」 (産経新聞社、2002年)124頁〜127頁の燃え上がる野球熱大学高校から中学への浸透の項目
  7. ^ 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』「大正世代」 (産経新聞社、2002年)94ページ1行目〜95ページ1行目の進学熱と百家争鳴の項目
  8. ^ 人口統計資料集(2012)
  9. ^ 45歳(1905年生まれ)〜59歳(1891年生まれ)は、女性の出産による死亡が多かった事と男性の戦死が少なかった事から女性人口の方が男性人口より少なかった。60歳以上の高齢者は男性人口より女性人口の方が多かった。
  10. ^ http://nippon-end.jugem.jp/?eid=3263
  11. ^ http://hagakurecafe.gozaru.jp/zyosei10meizi.html
  12. ^ http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/20061006090.pdf#search='%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3+%E6%80%A7%E6%AF%94'国立社会保障人口問題研究所人口統計資料集2006年(平成18年度版)
  13. ^ http://www.fihs.org/volume11_2/articles4.pdf#search='%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E4%B8%96%E4%BB%A3+%E6%80%A7%E6%AF%94' 性比からみたがん死亡率のコホート分析 −昭和ヒトケタ男性短命の原因を追って−
  14. ^ 岩手県、栃木県、富山県で大正元年~2年生まれが県内最高齢者となっている。
  15. ^ https://news.yahoo.co.jp/articles/8df6d11b62a383b29f194f8772be03699dadf6f5
  16. ^ 東京府・大阪府・福岡県で少子化が進み子供が少なくて大正時代に4.0人ほどの出生率だった


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