北の富士勝昭
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改名歴
- 竹沢 勝昭(たけざわ かつあき):1957年1月場所 - 1959年3月場所
- 竹美山 勝明(たけみやま かつあき):1959年5月場所 - 1960年7月場所
- 北の冨士 勝明(きたのふじ かつあき):1960年9月場所 - 1967年7月場所
- 北の富士 勝明(きたのふじ - ):1967年9月場所 - 1968年1月場所
- 北の富士 洋行( - ひろゆき):1968年3月場所[注 37]
- 北の富士 勝昭( - かつあき):1968年5月場所 - 1971年1月場所
- 北の富士 勝晃( - かつあき):1971年3月場所 - 1972年5月場所
- 北の富士 勝昭( - かつあき):1972年7月場所 - 1974年7月場所(NHK大相撲解説者としてもこの名前)
年寄変遷
- 井筒 勝昭(いづつ かつあき):1974年7月9日 - 1977年11月4日
- 九重 勝昭(ここのえ - ):1977年11月4日 - 1992年4月1日
- 陣幕 純樹(じんまく じゅんき):1992年4月1日 - 1994年11月6日
- 陣幕 克昭( - かつあき):1994年11月6日 - 1998年1月31日(退職)
テレビ出演
テレビ番組
CM
ラジオ出演
関連項目
大相撲
出身地
人物
作品
著書
- 九重勝昭『爆笑大相撲 角界ウラばなし』日之出出版 1983
- 九重勝昭『速攻管理学 "勝ち"をつかむ人材は、こうして育てろ!』(日之出出版、1988年)
- 九重勝昭『土俵で燃えろ 北の富士一代』(東京新聞出版局、1991年)
- 北の富士勝昭『土俵愛 国技・大相撲復興のための四十八手 緊褌一番』(日之出出版、2009年)ISBN 978-4-89198-131-0 C0075
レコード
- 『ネオン無情』(1967年、テイチクレコード、SN-586) - シングル盤
- 『北の富士“艶歌”をうたう』(1967年、テイチクレコード) - LPレコード盤
- 『裏町ロマン / 霧の海峡』(1968年、テイチクレコード) - LPレコード盤
- 『別れの艶歌』(1968年、テイチクレコード) - シングル盤
- 『君を慕いて / 男の慕情』(1969年、TOSHIBA) - LPレコード盤
注釈
- ^ 現代に『アズキ相場』という言葉が伝わるように、当時はアズキは先物取引に利用されるなど有価証券さながらの扱いを受けていた。
- ^ いわゆる「定年制度」。厳密には対象力士への養成費支給を停止するものであった。
- レジェンドインタビュー 大相撲元横綱 北の富士勝昭さん 毎日新聞2016年5月14日 東京夕刊
- ^ 北の富士は入門してから3年ほど、1日に20~30発は兄弟子に意味もなく殴られるなど、もとより理不尽な目に遭っていた。:北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P116
- ^ 1場所15日制が定着した1949年5月場所以降、十両での15戦全勝は北の冨士以降も栃光正之・豊山勝男・把瑠都凱斗・栃ノ心剛が達成している。北の冨士以外の4人も、その後大関に昇進している。
- ^ 北の冨士が初優勝した1967年3月場所で陸奥嵐、北の冨士が千秋楽解説を務めた2014年9月場所で逸ノ城がタイ記録を樹立した(2014年9月28日放送『NHK大相撲』秋場所より)。
- ^ 2020年5月31日の北の富士コラム「はやわざ御免」によると、大関昇進後に千代の山から食事に誘われることが増え、報道陣に追われることも増えていった。そして、二人きりの食事で「おれは部屋を出て独立したいのだが、北の富士次第。もしそれが駄目なら、おれはこの世界から身を引く」と切り出され、千代の山を頼って入門した経緯からついていくことを決めた。8代出羽海に挨拶もできなかったが、女将は「親方はおまえたちのことは怒ってはいないから、どこに行っても頑張りなさい」と出て行く力士たちを励ましたという。
- ^ 当時は、「大関の地位で3場所連続負け越した場合は、関脇へ陥落」となっていた。1969年7月場所以降に現在の規定(大関で2場所連続負け越した場合は関脇へ陥落)に変更。
- ^ ただしこの横審で委員長の舟橋聖一が「疑惑を招くような相撲を絶滅して欲しい」と協会に要望し(朝日新聞1970年1月29日付朝刊スポーツ面)、千秋楽の北の富士-玉乃島戦を念頭に八百長の存在を指摘している。
- ^ 現在は琴櫻傑將(1967年11月場所 - 1973年1月場所)・武蔵丸光洋(1994年3月場所 - 1999年5月場所)の32場所。
- ^ この後、不知火型の土俵入りをしている白鵬が、宇佐神宮の奉納土俵入りで雲龍型の土俵入りを行ったことがある。これは、大分県宇佐市は白鵬が崇拝する双葉山の故郷であり、双葉山の土俵入りが雲龍型であった為、これに敬意を表する形で行ったことによるものである。
- ^ 北の富士に同行した暴力団員は、当時の首相佐藤栄作にピストルを送ったとして9月29日に銃刀法、火薬類取締法違反等の疑いで逮捕され、10月25日に保釈されたばかりだった。北の富士は2年前から、この暴力団員から乗用車を提供される等積極的な後援を受け、そしてこの暴力団員が主宰する"政治団体"のスライドに北の富士が出演していた。また西福岡署の署員もこの暴力団員を介して色紙を頼む等していた(いずれも朝日新聞の報道による)。
- ^ その後、日本相撲協会には「貴ノ花が勝っていたのではないか?」という抗議が殺到した。この一番を裁いた木村庄之助は進退伺いを協会に提出して出場停止処分を受けたが、3月場所前に廃業した。
- ^ 1972年1月場所であと1勝して勝ち越せば、当時の連続勝ち越し記録の第1位だった玉の海の27場所と並んでいた。
- ^ 加えて、大麒麟將能・前の山太郎の二大関が全休または途中休場、琴櫻・清國の大関同士の取組が14日目にあったため、千秋楽結びの一番に清國と前頭5枚目・栃東知頼が相撲を取る事態となった(千秋楽では琴櫻と関脇・三重ノ海剛司の対戦も組まれたが、番付上は清國が大関上位だったため、琴櫻 - 三重ノ海戦は結び前となった)。栃東が敗れれば10勝5敗の力士8人による優勝決定戦となるところで栃東が勝利・初優勝を果たしたが、11勝4敗の成績は15日制となった1939年5月場所以来で最低だった(1944年5月場所 - 1949年1月場所は15日制ではなかった。15日制に戻って定着した時期は1949年5月場所からで、1996年11月場所に武蔵丸が5人での優勝決定戦の末、11勝4敗で優勝している)。
- ^ これについて2021年5月場所中日のNHK大相撲中継で本人が「昔のことだからあれですけどまあ、適当だったんだね。診療所の所長さんが」と告白。「『負けが込んでると眠れませんよ』と言ったら『じゃあ不眠症だ』と」と懐かしんでいた[28]。
- ^ だがこの催しは春日野の顰蹙を買い、ひいては力士の副業・テレビ出演禁止化につながった。北の富士勝昭・嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p47-48
- ^ 春日野が栃錦清隆の横綱昇進時にこれと同様の言葉を語っている。北の富士は、栃錦と親しかった師匠の千代の山を通じてこの話を聞かされていたという。
- ^ 自著でも部屋の力士たちの士気に与える影響を考えて心が折れたものは早々と次の人生を歩ませる方針を主張している。
- ^ あまりに早い名跡交換だったためか、新・九重の千代の富士がその事実を失念してしまい、色紙にサインする際に「陣幕」とサインしそうになったというエピソードが大相撲放送の解説中で語られている。
- ^ 一門内で行われた予備選挙で千代の富士が自身を支持しなかったことが原因となって候補から外された。
- ^ 北の富士以外に国技館外で還暦土俵入りを行ったのは1937年の太刀山(上野精養軒)と、2007年の三重ノ海(ホテル・グランパシフィック・メリディアン)の二人がいる。
- ^ 後年自著で売上の実数としては20万枚だったと語っており、収益は九重(元横綱・千代の山)に先取りされることはなかったという(北の富士によると九重はそういうことをする親方ではなかったとのこと)。北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p49
- ^ どちらも作詞・内館牧子、作曲・船村徹で、二人とも横綱審議委員会メンバーである。
- ^ 北の富士は大関昇進後の1967年(昭和42年)1月場所までは出羽海部屋所属であり、栃ノ海は出羽海一門の春日野部屋所属であったため、一門の兄弟弟子関係があった。
- ^ その後、2001年に武蔵丸-貴ノ浪戦に更新され(58回対戦)、2019年現在の史上最多幕内取組は琴奨菊 - 稀勢の里戦の66回
- ^ 1969年5月場所以前の「3場所連続負け越しで大関陥落」の制度の下での大関角番
- ^ 玉乃島と優勝決定戦
- ^ 前乃山と優勝決定戦
- ^ 神経性胃炎・高血圧・慢性腸炎により14日目から途中休場
- ^ 不眠症により9日目から途中休場
- ^ 右手中指第 2関節脱臼及び捻挫により全休
- ^ 琴櫻と優勝決定戦
- ^ 左第11肋骨骨折により11日目から途中休場
- ^ 高血圧により9日目から途中休場
- ^ 右膝関節捻挫により全休
- ^ 右膝関節捻挫により全休
- ^ 姓名判断で勝明の名では交通事故に遭うと言われた際、「ならせめて海外旅行に行きたいなあ」と思って「洋行」に改名したといわれる。
出典
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固有名詞の分類
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