児玉源太郎
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近年の研究動向
史料に基づいた実証的な児玉研究書籍も刊行されている。長南政義は、参謀本部次長・満洲軍総参謀長としての児玉の役割について詳細に検証し、児玉が内務大臣を辞めて参謀本部次長に就任した人事を「降格人事」とする通説を批判し、降格人事ではなかった旨を証明すると共に、軍という個別利益よりも国家の全体利益を重視し、将来の国家像・戦争像を精確に洞察して必要な組織制度改革を断行した「予言的改革者」としての児玉像を描いている。また、小林道彦は、統帥権を憲法的秩序に適合させようとした「立憲主義的軍人」としての児玉像を提示したが、長南政義は、新史料を使用し小林道彦の児玉理解には史料的誤読が多いと指摘している[28]。
栄典・授章・授賞
- 位階
- 1874年(明治7年)3月31日 - 正七位[29]
- 1880年(明治13年)5月28日 - 正六位
- 1883年(明治16年)4月18日 - 従五位
- 1889年(明治22年)9月27日 - 従四位[30]
- 1894年(明治27年)10月26日 - 正四位[31]
- 1898年(明治31年)3月8日 - 従三位[32]
- 1901年(明治34年)4月20日 - 正三位[33]
- 1906年(明治39年)
- 勲章等
- 1878年(明治11年)1月31日 - 勲四等旭日小綬章
- 1885年(明治18年)4月7日 - 勲三等旭日中綬章[36]
- 1889年(明治22年)11月25日 - 大日本帝国憲法発布記念章[37]
- 1894年(明治27年)12月26日 - 勲二等瑞宝章[38]
- 1895年(明治28年)8月20日 - 男爵・功三級金鵄勲章・旭日重光章[39]
- 1899年(明治32年)12月27日 - 勲一等瑞宝章[40]
- 1902年(明治35年)2月27日 - 旭日大綬章[41]
- 1906年(明治39年)
- 外国勲章佩用允許
- 1892年(明治25年)9月12日
- 1895年(明治28年)10月14日 - フランス共和国:レジオンドヌール勲章コマンドール[45]
- 1906年(明治39年)7月13日 - プロイセン王国:金剛石装飾剣付赤鷲第一等勲章[46]
系譜
系図
- 児玉氏家紋は二文字に三つ星。
源太郎━━┳秀雄━忠康━━━━━━━┳健 ┣貞雄━信男━幸子┳純 ┣進 ┣友雄 ┣健 ┣実 ┣常雄 ┗博 ┣国雄 ┣ヌイ ┣ヨシ ┣仲子 ┣八郎 ┣九一 ┣モト ┗ツル
家族・親族
- 父:半九郎(忠碩)(1811–1856) - 徳山藩士。徳山藩士・河田政直の子。
- 母:元子(1812–?) - 徳山藩士・児玉忠清の娘。
- 長姉:久子(1842–1937) - 児玉次郎彦の妻。
- 義兄:次郎彦(1842–1864) - 徳山藩士。徳山七士の一人。
- 次姉:信子(1847–?)
岩永秀松の娘マツ/松子(1856–1936)と結婚、7男4女を儲けた(養女も1人迎えた)[47]。
- 長男:秀雄(1876–1947) - 大蔵官僚、貴族院議員、内務大臣など各省国務大臣を歴任、寺内正毅の長女澤子と結婚。
- 次男:貞雄(1879–?) - 分家
- 三男:友雄(1881–1961) - 分家。陸軍中将、中村雄次郎の娘みつと結婚。
- 四男:常雄(1884–1949) - 1932年、陸軍航空兵大佐で退官。木戸孝正(木戸孝允の甥)の娘八重子と結婚。満洲航空副社長となり、1938年社長。のち中華航空社長、大日本航空総裁をつとめた。
- 五男:国雄(1886–?) - 東京帝国大学法科大学政治科卒、鉄道院副参事を経て満洲大同セメント、日本石灰工業各社長。中村覚の娘節子と結婚
- 養女:ヌイ/縫子(1887–?) - 山口宗太郎の次女、山口十八と結婚。
- 長女:ヨシ/芳子(1888–?) - 立花俊吉と結婚
- 次女:ナカ/仲子(1890–?) - 穂積重遠と結婚
- 六男:八郎(1891–?)
- 七男:九一(1893–1960) - 内務官僚、島根県知事、厚生次官などを歴任、大森鍾一の娘幸子と結婚。
- 三女:モト/元子(1895–1986) - 藤田嗣雄(画家・藤田嗣治の兄で法制史学者)と結婚
- 四女:ツル/鶴子(1896–1982) - 木戸幸一(木戸孝正の息子、八重子の兄)と結婚
爵位は嫡男秀雄が継いだが、秀雄と澤子夫妻に息子が生まれなかったため、2人の間に生まれた孫娘貞子(1902年 - ?)の夫忠康(広幡忠朝の子、1898年 - 1990年)が婿養子に迎えられた。曾孫で忠康の息子進は映画監督・テレビ映画監督。
注釈
- ^ 兒玉の表記もある。「兒」は印刷字体、「児」は手書き書体である。学術誌、研究書、辞典類、文部科学省検定教科書などにおける歴史人物としての表記は「児玉源太郎」、『職員録』など存命中の刊行物における表記は正字体に統一の慣例により「兒玉源太郞」、御署名原本における大臣副書の本人署名は「児玉源太郎」である。
- ^ 現在の山口県周南市児玉町。長南政義(2019)、pp11。
- ^ 参謀本部のナンバー2は、明治26年10月4日から明治41年12月19日までは「参謀本部次長」であった[18]。児玉の本官は引き続き台湾総督(親任官)であり、非親任官である参謀本部次長を兼任しても降格人事とはならない。「児玉源太郎#経歴」を参照。
- ^ 正攻法の途中段階で大本営や海軍にせかされ実施した2回の総攻撃には反対で準備を完全に整えた上での東北方面攻略を指示していた。そのためには港湾部や市街への砲撃も弾薬節約の点から反対しており、当初は203高地攻略も提案していなかった事を示唆[19]。
出典
- ^ 朝日日本歴史人物事典・日本大百科全書(ニッポニカ)「児玉源太郎」
- ^ a b c d e 半藤 2013, 位置番号 2973-2984、陸軍大将略歴〔明治期〕:児玉源太郎
- ^ 小川(2006)、p133。
- ^ a b 小川(2006)、p134。
- ^ 小林(2012)、p8。
- ^ 小川(2006)、p134-137。
- ^ 小林(2012)、p11。
- ^ 小川(2006)、p138。
- ^ 長南(2019)、pp60-61。
- ^ 越澤(2011)、72-74頁。
- ^ a b 児玉文庫と児玉源太郎 周南市立図書館
- ^ 長南(2019)、pp234-235。
- ^ 長南(2019)、pp318-323。
- ^ 長南(2019)、pp321-323
- ^ 長南(2019)、pp315-318。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)124頁
- ^ 『官報』第2934号「叙任及辞令」1893年4月14日。
- ^ 秦 2005, pp. 319–320, 第2部 陸海軍主要職務の歴任者一覧-III 陸軍-2.参謀本部-A.第1期(明22 - 明41)
- ^ 学研パブリッシング(2011)、p.59
- ^ 学研パブリッシング(2011)、p.69
- ^ a b c 学研パブリッシング(2011)、p.70 奈良武次少佐(当時は攻城砲兵司令部所属)の回想
- ^ 長南(2011a)、pp.150 f
- ^ a b 陸軍省 1966, pp. 1445–1449, 明治三十七年 - 自七月 至十二月 - 十二月七日 旅順総攻撃再興と二〇三高地の占領
- ^ 学習研究社刊:歴史群像『日露戦争~陸海軍、進撃と苦闘の五百日』記述より
- ^ 伊藤正徳『軍閥興亡史 新装版 第一巻』潮書房光人社、2016年、235頁。
- ^ 國立臺灣博物館
- ^ https://www.ifsa.jp/index.php?Gkodamagentaro
- ^ 長南(2011a)、p129。長南(2013)、pp68-69。長南(2019)、pp138-140、215-219。小林(2012)、ppⅴ-ⅵ
- ^ 『太政官日誌』 明治7年 第1-63号 コマ番号240
- ^ 『官報』第1878号「叙任及辞令」1889年10月1日。
- ^ 『官報』第3401号「叙任及辞令」1894年10月27日]。
- ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
- ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
- ^ 『官報』第6843号「叙任及辞令」1906年4月25日。
- ^ 『官報』第6921号「叙任及辞令」1906年7月25日。
- ^ 『官報』第548号「賞勲叙任」1885年5月2日。
- ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
- ^ 『官報』第3451号「叙任及辞令」1894年12月27日。
- ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
- ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」1899年12月28日。
- ^ 『官報』第5593号「叙任及辞令」1902年2月28日。
- ^ 『官報』第6920号・付録「叙任及辞令」1906年7月24日。
- ^ 『官報』第6832号「授爵・叙任及辞令」1906年4月12日。
- ^ a b 『官報』第2767号「叙任及辞令」1892年9月15日。
- ^ 『官報』第3691号「叙任及辞令」1895年10月16日。
- ^ 『官報』第6919号「叙任及辞令」1906年7月23日。
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 上巻』吉川弘文館、1996年、P596 - P597、小林(2012)、ppxxiv - xxv。
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