中村正直
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来歴
江戸・麻布の幕府同心の中村武兵衛の長男として生まれる。幼名は釧太郎、葛馬茂右衛門から四書を学び、石川梧堂の門人となり筆法を修める。1846年(弘化3年)、築地の井部香山の塾で漢学を学び、翌年桂川甫周から蘭学の指南を受ける。
1848年(嘉永元年)、昌平坂学問所の寄宿寮に入る。佐藤一斎に儒学を、箕作奎吾に英語を習った。1855年(安政2年5月)に教授、1856年(安政3年)に甲府徽典館の学頭となる。1862年(文久2年)に幕府の御用儒者となる。
1866年(慶応2年)川路寛堂と供に 幕府のイギリス留学生監督として外山捨八(正一)等の留学生12名を引き連れて渡英。10月26日 横浜を出発し、翌年の元旦にロンドン到着。[4]
1868年(慶応4年)6月 幕府瓦解のため、帰国。
1868年(慶応4年)8月 静岡市大岩町の臨済寺に家を借りる。その後に半洋式の家「無所争斎」を建ててそちらに移る[5]。
1868年(明治元年)9月 静岡学問所の教授となる。
このとき同じく静岡学問所の教授であったエドワード・ウォーレン・クラーク宣教師に感化され、彼の生涯の友となった[6]。
教授時代の1870年(明治3年)11月9日に、サミュエル・スマイルズの『Self Help』を、『西国立志編』(別訳名『自助論』)の邦題で出版し100万部以上を売り上げ、福澤諭吉『学問のすすめ』と並ぶ大ベスト・ロングセラーとなった。序文にある‘Heaven helps those who help themselves’を「天は自ら助くる者を助く」と訳したのも彼である。
ジョン・スチュアート・ミル『On Liberty』を、『自由之理』(現在では同書を『自由論』と称するのが一般的)で訳し、「最大多数の最大幸福」という功利主義思想を主張し、個人の人格の尊厳や個性と自由の重要性を強調した。この『自由之理』にはエドワード・ウォーレン・クラークにより書かれた序文も付けられている[7]。
1872年(明治5年)6月 大蔵省翻訳局長に任じられ、後に帝国学士会員、東京大学教授となる。女子教育・盲唖教育にも尽力。
1873年(明治6年)3月 大蔵省退官後に小石川の私邸に同人社を開設、この私塾で英学を教えた。同人社は、三田の慶應義塾及び近藤真琴の攻玉社と並ぶ三大義塾と称された[8]。
また、1873年(明治6年)、国内における学術団体の嚆矢とされる明六社の設立に参加、福澤諭吉、森有礼、西周、加藤弘之らとともに主要メンバーとして啓蒙思想の普及に努め、機関誌「明六雑誌」の執筆を行う。
1874年(明治7年)1月4日 横浜ユニオン・チャーチでジョージ・コクラン宣教師の説教を聞く。それがきっかけでコクランを同人社に迎え入れる[9]。
1874年(明治7年)12月25日 養子の一吉と共にコクランから洗礼を受け、カナダ・メソジスト教会の日本人最初の信徒になる[9]。洗礼名はジョン(John)で、Nakamura Masanawer John と呼ばれた。[3]
1890年(明治23年)9月29日、貴族院勅選議員に任じられ[10]、死去するまで在任した[11]。 1891年 死去。満58歳。 六大教育家のうちの3名のクリスチャン(あと2人は森有礼と新島襄)のうちの1人。興亜会会員。
- ^ 東京市会事務局編輯 『東京市会史 第一巻』 東京市会事務局、1932年8月、131-133頁、272頁。
- ^ 小石川区役所編輯 『小石川区会史 上巻』 小石川区役所、1938年3月、43頁。
- ^ a b 鳥居坂教会百年をむかえて. 鳥居坂教会. (1983年11月20日). p. 12
- ^ 飯田宏 (1967). 『静岡県英学史』. 講談社. p. 29
- ^ 飯田宏 (1967). 『静岡県英学史』. 講談社. p. 18-25
- ^ 『静岡英和女学院百年史』. 静岡英和女学院. (1990). p. 32-36
- ^ 飯田宏 (1967). 『静岡県英学史』. 講談社. p. 23
- ^ 高橋昌郎『中村敬宇』 吉川弘文館〈人物叢書〉、1966年、125頁
- ^ a b 倉長巍 (1992). 『平岩愃保伝』. 大空社. p. 16-20
- ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
- ^ 衆議院・参議院編 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』 1990年11月、147頁。
- ^ a b “10 「尚志」の碑(富春院)~明治期の啓蒙思想家中村正直と静岡~”. 静岡県立中央図書館. 2018年9月25日閲覧。
- ^ 『官報』第379号「賞勲叙任」1884年10月1日。
- ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
- ^ 『官報』第2380号「叙任及辞令」1891年6月8日。
- ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
- ^ 『官報』第2381号「叙任及辞令」1891年6月9日。
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