かわいさ かわいさの概要

かわいさ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 03:20 UTC 版)

ヒト子供の顔には大人に養育的な行動を誘発させる独特な特徴がある。このような身体的特徴(戦略的造形)はヒトに限らず、他の動物の幼体においても同様であることが珍しくない。

子供の形態的特徴と生物学的機能

ローレンツが示した「かわしらしい」形態的特徴[1]
年齢別のヒトの頭部。成長に伴い上顎と下顎のサイズが著しく変化している。
ベビースキーマドイツ語版の典型とされるキューピー人形

動物行動学者のコンラート・ローレンツは、1943年に『可能な経験の生得的形態(経験できることには生まれつき決まった形がある)』という論文を発表した[2]。この論文では、赤ちゃん固有の形態的特徴が、大人にとって「かわいい」という感情を刺激し、子育て行動へと駆り立てるとされた[1]。赤ちゃん固有の形態的特徴とは「体に比して頭が大きい」「顔面より脳頭蓋が大きい」「目が大きくて丸い」「頭全体に対して目鼻口が低い所に位置している」「短い四肢」などが挙げられる[1]。これら幼い動物の身体的特徴は「ベビースキーマドイツ語版」(幼児図式[1][3]、Kindchenschema)と呼ばれている。またこれは科学的方法に基づく「かわいい」研究の出発点となった[4]

アタッチメントと母子相互作用

ベビースキーマ自体はコミュケーションのために進化したものではない。たしかにベビースキーマは、赤ちゃんを養育させる感情を保護者に喚起させるが、あくまで一次的な身体機能発達の産物に過ぎず、それを受け取る大人側に「かわいらしい」と感じられる感受性が、進化の過程で備わってきたと解説される[1]

比較行動学者の正高信男は、ベビースキーマの理論を拡張するだけでは、赤ちゃんの発声や動きに対する大人の養育的反応を説明できないとしている。たとえば「指さし」など、赤ちゃんが大人と類似した行動をとった時であっても、それを愛でようとする傾向がヒト心理にはあるという[1]。小児科医のT・ベリー・ブラゼルトンによれば、親が話しかけるほど赤ちゃんもよく発声し、笑顔で見つめると笑顔で微笑み返す。このような相互作用は本能的に備わっており、生まれて数時間しか経っていない赤ちゃんであっても、親の表情や発声を忠実に模倣する習性があるという[5]。このような反射的習性は「原初模倣」と呼ばれている[6]。この際、保護者は泣き叫ぶ赤ちゃんをあやすなど「快感情」を与え、赤ちゃんもまた保護者に様々な養育信号を発信する[5]

母性の発達を研究している石野陽子は、母子間で愛情を高めあう乳幼児の行動に「人見知り」を挙げている。たとえば、赤ちゃんは生後半年ほどで人見知りをするようになり、普段あまり接しない人が接近するだけで泣き叫ぶなど不快感を示す。しかし、保護者が視界に入ると赤ちゃんはピタリと泣き止み、抱きつくなど甘える仕草を見せる。保護者もまた「私がこの子を育てなければ」というポジティブな養育行動を促進させ、赤ちゃんを甘やかすようになる。こうした母子間の親密かつ情緒的なかかわりは「アタッチメント(愛着)」と呼ばれ、母子間で信頼関係が育まれるプロセスを発達心理学では「母子相互作用」と呼んでいる[5]

「甘え」の視点

大阪大学大学院人間科学研究科教授の入戸野宏は、土居健郎著『「甘え」の構造』(弘文堂, 1971年)を引き合いに「甘え」と「かわいい」という日本人に顕著な2つの感情の類似性を指摘している。たとえばベビースキーマが仮定する考え方では、あくまで被保護側の発信する「かわいさ」は、保護者が受容する「鍵刺激=単なる手がかり」に過ぎないという一方向的な関係に終始しているが、ここに他者の愛情を得ようとする「甘え」の視点を被保護者側に取り入れることで「かわいさ」の発信側と受容側の関係性は、双方向的なものとして解釈できるとしている[7]

子供のネオテニー

ロンドン大学のデズモンド・コリンズ[8]は「人間の青年期が長くなるのはネオテニーの一部」と述べた[9]。身体人類学者のバリー・ボーギンも「子どもの成長パターンが、かわいさの持続期間を意図的に長くしている」という可能性を述べている。ボーギンによると人間の脳は、次のタイミングで大人の大きさになるという[10]

  • 体が40%しか完成していないとき
  • 歯の成熟が58%しか完成していないとき
  • 生殖の成熟が10%しか完成していないとき

このようなアロメトリー(相対成長、身体の全体に対する各部位の相対的な成長度のこと)によって、子どもは他の哺乳類よりも長く「大きな頭蓋骨」「小さな顔」「小さな体」「性的未発達」といった、表面的には「幼児的な外見」を保つことができるという。またボーギンは、このかわいらしい外見が「年長の個体」に対して「養育」「世話焼き」という反応を引き起こすと述べている[10]

性差

乳児のかわいさの感じ方は、乳児の性別や行動に影響される。小山ら(2006)の研究によると、女性乳児は男性乳児よりも身体的魅力があるとされている[11]。(Karraker(1990))の研究でも、男性乳児の保護をかき立てるのは、子どもの幸せや身体的な魅力に対する認識のみとする可能性が実証された[12]

また、かわいらしさへの認識を大きく左右するものに「観察者の性別」がある。(Sprengelmeyerら(2009))が行った研究では、同じ年齢の男性よりも女性は「かわいらしさのわずかな違い」に敏感であるとしており、これは女性ホルモンの働きが「かわいらしさ」を決定するために重要であることを示唆した[13]

文化的意義

ベビースキーマは生身の幼児だけでなく、サンリオハローキティーをはじめ、胴体に比べて頭部が異常に大きいちびキャラぬいぐるみなど天然には存在しない人工物にも感じ取れる[14]
ベビースキーマをおさえたキャラクターのイメージ。たとえば「体に比べて頭が大きい」「瞳が大きい」「瞳が顔のやや下にある」「鼻が小さい」「輪郭が丸みを帯びている」「頬がふっくらしている」「おでこが広く、前に張り出している」などの特長がある。
アニメ調の可愛らしい絵柄で性的に表現された萌え系の美少女キャラクター

ベビースキーマは本来の生物学的な領域以外にデザインや産業の分野でも絶大な効果があり、特に有名な例が日本の漫画アニメなどのポップカルチャーおたく文化)である。たとえばキャラクターの「無垢さ」「従順さ」「幼さ」を演出・強調するために、しばしば

  • 身体に比して大きな頭と小さな鼻
  • 顔の中央よりやや下に位置する大きな眼
  • 突き出た額
  • 短くてふとい四肢
  • やわらかい体表面
  • 丸みをもつ豊頬
  • 全体に丸みのある体型
  • ぎこちない動き

などベビースキーマの特徴[15][16]が多用される(こうした天然に存在しないが見る者に大きな反応を引き起こすものを「超正常刺激」と呼ぶ)。このような超正常刺激を呼び起こすキャラクターデザインサブカルチャーに留まらず、ゆるキャラ萌えキャラ[17]など日本社会のあらゆる分野に広がっている美的感覚であり、総じて「かわいい」「萌え」「尊い」などの日本語で形容・表現されている。

おたく文化やロリコン漫画への影響

男性文化において「かわいさ」を主軸とする萌えの元祖的作品は、1980年代前半のロリコンブーム期にあらわれた。それまで一般的な男性向けエロ漫画は、リアルタッチの三流劇画がほとんどであったが、この流れを決定的に変えたのが、1979年のコミックマーケット11で頒布された日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)である。この同人誌は「手塚治虫石ノ森章太郎のような丸っこい記号的な絵柄でもセックスが描ける」という「かわいいエロ」の発見と革命をもたらしたことで伝説化している[18]

その後、ベビースキーマの特徴を兼ね備えたロリコン漫画は青少年に広く受けいれられた。さらには「おたく」の登場とも相まって、二次元コンプレックスなる文化現象を生み出すとともに、今で言うところの「萌えキャラ」で性的欲求を開放する美少女コミックが氾濫する。とくに初期のロリコン漫画は、手塚漫画やアニメ絵の「幼児形態」を保ちながら、性的刺激(=超正常刺激[19])をもたらした点が画期的であり、エロ漫画評論家の永山薫は「エロ漫画におけるネオテニー(幼形成熟)」とも形容している[20]。そして、現在にも連綿と受け継がれている「萌えエロ」「かわいいエロ」こそ、マッチョ的なものに対するフラジャリティの復権として起こった、一種の表現運動/カウンターカルチャー(80年安保[21])であったといえる。


  1. ^ a b c d e f 正高信男『子どもはことばをからだで覚える メロディから意味の世界へ』中公新書 2001,p.108-112.
  2. ^ Lorenz, K. (1943). Die angeborenen Formen möglicher Erfahrung [The innate forms of potential experience / 可能な経験の生得的形態(経験できることには生まれつき決まった形がある)].
  3. ^ 扇原貴志「乳幼児との接触経験と接触時感情が子どもへの関心に及ぼす影響」『学校教育学研究論集』第36巻、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科、2017年10月、1頁、hdl:2309/148368ISSN 1344-7068CRID 1050569943996897408 
  4. ^ 入戸野(2019), p.55
  5. ^ a b c 植木理恵『フシギなくらい見えてくる! 本当にわかる心理学』日本実業出版社, 2010年, 132-135頁「親と子はどうやって『親子』になるのか」から。
  6. ^ 大藪泰「赤ちゃんの模倣行動の発達-形態から意図の模倣へ-」『バイオメカニズム学会誌』第29巻第1号、バイオメカニズム学会、2005年1月、3-8頁、ISSN 02850885NAID 40020710920 
  7. ^ 東京大学精神科医であった土居健郎氏は一九五五年頃から、『甘え』という概念を提唱しました。(中略)その後、欧米でも、養育者との親密な関係に着目した愛着(アタッチメント)理論が発展し、このような心理傾向は日本人にかぎらないことが確認されました。人間が潜在的に持っている心理傾向のうち、どれが社会のなかで注目され受容されるようになるかは、文化によって変わるのでしょう。(中略)『甘え』の発想は、ベビースキーマドイツ語版の発想とは異なっています。(…)ベビースキーマ説では、かわいい対象は周囲の注意を引きつけ行動を引き起こすきっかけや手がかりとしてしか考えられていません。一方、『甘え』の発想では、かわいいと思う相手の立場からも状況を見ることができます。つまり、甘えてくる子猫を見たとすれば、自分も誰かに甘えていたことや甘えたい気持ちを思い出すかもしれません。このように、『甘え』の視点を取り入れると、『かわいい』は一方向的なものではなく双方向的として捉えられます」(『「かわいい」のちから』, p. 203-204)
  8. ^ “Contributors”. World Archaeology (Routledge) 2 (1): 112. (1970). doi:10.1080/00438243.1970.9979467. https://doi.org/10.1080/00438243.1970.9979467. 
  9. ^ Collins, D. et al. (1973). Background to archaeology: Britain in its European setting. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 0-521-20155-1 hard cover
  10. ^ a b Bogin, Barry (1997). “Evolutionary hypotheses for human childhood”. American Journal of Physical Anthropology: The Official Publication of the American Association of Physical Anthropologists (Wiley Online Library) 104 (S25): 63-89. doi:10.1002/(SICI)1096-8644(1997)25+%3C63::AID-AJPA3%3E3.0.CO;2-8. https://doi.org/10.1002/(SICI)1096-8644(1997)25+%3C63::AID-AJPA3%3E3.0.CO;2-8. 
  11. ^ 小山&高橋&守(2006), p. 1087-1099.
  12. ^ Karraker, Katherine; Stern, Marilyn (1990). “Infant physical attractiveness and facial expression: Effects on adult perceptions”. Basic and Applied Social Psychology 11 (4): 371–385. doi:10.1207/s15324834basp1104_2. 
  13. ^ Sprengelmeyer, R; Perrett, D.; Fagan, E.; Cornwell, R.; Lobmaier, J.; Sprengelmeyer, A.; Aasheim, H.; Black, I. et al. (2009). “The Cutest Little Baby Face: A Hormonal Link to Sensitivity to Cuteness in Infant Faces”. Psychological Science 20 (9): 149-154. doi:10.1111/j.1467-9280.2009.02272.x. PMID 19175530. 
  14. ^ 入戸野(2019), p.56
  15. ^ インゴ・レンチュラー『美を脳から考える ―芸術への生物学的探検―』新曜社, p.13, 2000年
  16. ^ 入戸野宏, 「かわいさと幼さの関係についての実験心理学的考察 404 NOT FOUND (PDF) 」日本感性工学会・かわいい人工物研究部会・2周年記念シンポジウム(2012年6月2日・芝浦工業大学豊洲キャンパス)資料集, p.7 [リンク切れ]
  17. ^ 超正常刺激の他の例として、アニメで女性を描くときに、胸を大きく、ウエストをくびれさせ、ヒップを大きくすることがあります。女性の性的魅力を誇張して描いていますが、そんな女性はほぼ実在しません。好みは分かれますが、根強い人気があります。特定の特徴の組み合わせが、私たちの感情や行動を引き起こすという典型例です。キャラクターの中には、地方団体や民間団体が作るものもあります。『ゆるキャラ』という言葉は、イラストレーターみうらじゅん氏の造語であり、登録商標です。もともとは、人が入る着ぐるみを指していました。完璧に作りこまれたものではなく、予算の関係で洗練されない手作り感が残るものが多く、微笑(苦笑)を誘います。こういったキャラクターにもベビースキーマは含まれています。中にはそうでないものもありますが、かわいいと感じさせようと作ったものには、必ずベビースキーマが超正常刺激として誇張された形で含まれています」(『「かわいい」のちから』, p. 57)
  18. ^ KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年4月、31頁。
  19. ^ 人が二次元エロに興奮するのは進化の証だったことが判明! ヲタたちに発動する「超正常刺激」の謎とは!? TOCANA 2019年2月19日
  20. ^ 永山薫『増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門』筑摩書房ちくま文庫〉2014年4月 p.136
  21. ^ 中森明夫「新人類&おたく誕生前夜──急カーブを曲がろうとしていた──“80年安保”が存在したのではないか? 政治闘争ではない。それは、文化、いやカルチャーにおける叛乱=氾濫だった」新潮社新潮45』2012年5月号「特集/30年前と30年後」
  22. ^ 椎塚久雄「かわいい感情の構造ー製品の中におけるかわいさとインタラクション」日本感性工学会『感性工学』11巻2号, pp.98-108, 2012年9月
  23. ^ a b 「若い処女の娘を神に仕える巫女にする習俗は、本土の古代にもあった。若い処女の娘には、『俗世間から逸脱している(=超俗)』気配がある。現在のオタク文化でも、若い娘の巫女姿は、もっとも『かわいい』を表現しているイメージのひとつになっている。社会との調和を喪失して社会から逸脱してゆくことは、『超俗』のかたちでもある。『無用者』は、超俗の『聖者』でもある。『かわいい』とは、ひとつの『超俗』『逸脱』のイメージなのだ。『かなし』や『かはゆし』の『か』という音韻には、人間であることの『喪失感』が込められている」山本博通『なぜギャルはすぐに「かわいい」というのか』幻冬舎ルネッサンス新社幻冬舎ルネッサンス新書〉2010年8月 pp.39-40
  24. ^ 松井(1996), p. 25.
  25. ^ a b Tom & 宮﨑 2019, p. 69.
  26. ^ 「気味が悪い、醜いということと、『かわいい』こととは、けっして対立するイメージではなく、むしろ重なりあい、互いに牽引し依存しあって成立しているものなのである。これは逆にいえば、あるものが『かわいい』と呼ばれるときには、そのどこかにグロテスクが隠し味としてこっそりと用いられていることを意味している」四方田犬彦『「かわいい」論』筑摩書房〈ちくま新書〉p.80, 2006年
  27. ^ 入戸野(2009), p.24
  28. ^ 永山薫増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門筑摩書房ちくま文庫〉2014年, pp.81-83
  29. ^ 宮元健次『日本の美意識』光文社新書 2008年3月 p.215
  30. ^ 石川(2016), p.23
  31. ^ かわいい」は原則的に目上の者が目下の者に抱く情愛を示す表現である。一方で目下の者から目上の者への情愛を示す際には「いとしい」が用いられた。(入戸野宏「"かわいい"に対する行動科学的アプローチ」『人間科学研究』第4巻、広島大学大学院総合科学研究科、2009年、19-35頁、doi:10.15027/29016ISSN 18817688NAID 120001954440 
  32. ^ 入戸野宏「小講演 “かわいい”の心理生理学」『生理心理学と精神生理学』第32巻第2号、日本生理心理学会、2014年、53-54頁、doi:10.5674/jjppp.1410ciISSN 0289-2405NAID 130005072710 
  33. ^ 大塚(1989), p. 190-191,244-246.
  34. ^ 松井(1996), p. 25-26.
  35. ^ 小原一馬「『かわいいおばあちゃん』」稲垣恭子編『子ども・学校・社会―教育と文化の社会学』2006年12月, 世界思想社, pp.156-157
  36. ^ 西村(2015), p.135





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