南北対立
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シェションク1世が紀元前924年頃に死亡すると、長兄のオソルコン1世が王位を継承した。オソルコン1世はアメン大司祭職にあった弟のイウプトに代えて、自分の息子シェションク2世をアメン大司祭とした。そしてシェションク2世を共同王として後継者にする意思を表したが、シェションク2世は父に先立って死亡ししまった。シェションク2世の死亡から程なくオソルコン1世も死亡した。その結果オソルコン1世の別の息子、タケロト1世が王位を継承したが、彼の治世に関しては記録がほとんど残されていない。一方、テーベではシェションク2世の息子ハルシエセがアメン大司祭職を継いでいた。 タケロト1世が死亡すると、オソルコン2世が王位を継いだが、アメン大司祭でありかつての「正統な王位継承者」の息子であるハルシエセの権勢は強く、またテーベに漂う独立の機運も手伝ってオソルコン2世治世第4年、ハルシエセは王を称して共同王となった。 両者の関係は複雑であったが、直接的な対立は最後まで避けられた。そしてハルシエセが死亡すると、オソルコン2世はすかさずアメン大司祭職に自分の息子ニムロトを就けてテーベに対する統制を回復した。しかしこの後も南方のアメン大司祭職を巡る問題は第22王朝の政治的統一に影を落とし続ける。
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南北対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 15:30 UTC 版)
朝鮮民族の居住が最も多く集中する地域は朝鮮半島、すなわち韓国および北朝鮮である。一つの民族が2つ以上の国家に跨って分布することは、世界的にはありふれているが、両国の国民はともに朝鮮民族・韓民族による国民国家という自意識を共有しており、並立する2国家の国民が互いを別民族と認識することはほとんどない。もっとも、北朝鮮、特に韓国にも民族成立前・後に渡来した少数民族は存在しており、厳密に言えば単一民族国家ではなく多民族国家である。沙也可のように文禄・慶長の役の際に帰化した日本人もいたとされる。 両国における朝鮮民族の人口は、韓国・北朝鮮は国内に少数民族をほとんど抱えていないので、それぞれの総人口にほぼ一致し、韓国に5,000万人、北朝鮮に2,300万人ほどである。
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