メトロポリタン歌劇場とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > 文化施設 > アメリカの歌劇場 > メトロポリタン歌劇場の意味・解説 

メトロポリタン‐かげきじょう〔‐カゲキヂヤウ〕【メトロポリタン歌劇場】

読み方:めとろぽりたんかげきじょう

Metropolitan Opera House米国ニューヨーク市マンハッタンにあるオペラ劇場1883年ブロードウエー開場1966年リンカーンセンター内にできた新歌劇場移転通称Met(メト・メット)。


メトロポリタン歌劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 14:00 UTC 版)

Metropolitan Opera House
Lincoln Center Plazaから見たリンカーンセンター内のメトロポリタン歌劇場
情報
種別 オペラハウス
開館 1966年9月16日 (1966-09-16)
収容人員 3,800人
運営 Metropolitan Opera Association
所在地 ニューヨーク市マンハッタン区
住所 30 Lincoln Center Plaza
位置 座標: 北緯40度46分22秒 西経73度59分3秒 / 北緯40.77278度 西経73.98417度 / 40.77278; -73.98417
テンプレートを表示

メトロポリタン歌劇場Metropolitan Opera House)はアメリカ合衆国ニューヨークマンハッタンリンカーン・センター内にある世界最大級、アメリカ随一のオペラ・ハウスである。メトロポリタン・オペラ・カンパニーの本拠地であり、キャストや装置の豪華さで名高い。Metropolitan Opera Associationにより運営されている。しばしば「メト」(MET)と呼ばれる。

沿革

初代メトロポリタン歌劇場(1907年)

1883年10月23日に竣工した最初のメトロポリタン歌劇場の建物英語版は、ブロードウェイ39丁目から40丁目にかけて建てられた。この建物はJ.クリーヴランド・キャディ英語版が設計したもので、1892年8月27日に火災に見舞われたが大規模な修復を経て1966年に現在のリンカーンセンターに移転するまで使用された。旧劇場は歴史的建造物として認められず1967年に解体された。

舞台芸術の殿堂として知られるリンカーン・センターの現劇場は建築家ウォレス・ハリソン英語版が設計したものである。公式開業より前の1966年4月11日、初めてこの新劇場で上演されたのはジャコモ・プッチーニ作の『西部の娘』であった。「新メト」は1966年9月16日、バーバーの『アントニーとクレオパトラ英語版』の世界初演でこけら落としを行った。

創立後1年間は全演目イタリアオペラ、翌年は同じくドイツオペラ、続く5年間は全演目をドイツ語上演、続いてはイタリア語に切り替えるなど、上演形態はかなり迷走が続いた。その後、英訳上演が定着したが、戦後の原語上演主流化にともなってこれにならい(ただし、現在でも時おり青少年向けを目的として英語上演を行うこともある)、音楽監督不在も解消。長年弱体といわれたオーケストラも技術的に向上し、全米を代表するのみならず欧州一流歌劇場に比肩する存在感を高めた。特に、セットやゲスト歌手の豪華さでは定評がある。

メト・オペラ・カンパニーのオフ・シーズン中はアメリカン・バレエ・シアターの春季公演のホームとして使われる。また、キーロフ・バレエボリショイ、およびスカラ座カンパニーなど著名なオペラおよびバレエ・カンパニーのツアー公演を定期的にホストする。ウラディミール・ホロヴィッツキャスリーン・バトルおよびその他のパフォーマーのリサイタルも行われる。1976年にはフィリップ・グラスの『アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ英語版 』が単独で上演された。

オペラやバレエ以外のパフォーマンスも上演されることがある。1986年7月8日、アメリカン・バレエ・シアターとパリ・オペラ・バレエ英語版の資金集めのための特別記念の合同公演が初めて行われた[1]。8月9日および10日には、コメディアンのロビン・ウィリアムズによる公演が行われ、HBOで放送され、Robin Williams Live at the MetというタイトルでCD化された[2]。10月19日には、ヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の北米ツアー際に、招待公演が行われた[3]

メト・オペラのラジオ/テレビ/インターネットによる定期放送以外にも、当劇場の公演がテレビ番組として放送されることもある。1975年には、Danny Kaye's Look-In at the Metropolitan Operaが、1976年にはSills and Burnett at the MetCBSで放送された。1999年と2001年には、MTV Video Music Awardsがこの劇場で公演された[4][5]

建物と舞台装置

ホワイエ
ホール

建物は白いトラバーチン大理石で覆われ、東のファサードは5つのアーチで飾られている。ロビーにはシャガールに委嘱した二つの壁画が展示される。また、アリスティド・マイヨールヴィルヘルム・レームブルックによる彫刻やメトの著名なパフォーマーたちの肖像画が飾られている。劇場の収容人数は約3,800席と195名の立見、合計3,995名である。黄金色のプロセニアムは幅・高さとも約16mある。緞帳は特注で織られた金糸入りのダマスク(緞子)で世界最大のタブカーテン(舞台正面の引割りカーテン)である。

高度に機械化されたメトロポリタン歌劇場の舞台は7枚の18m幅の2層式迫り(せり:上下に動くエレベーター式舞台)、3枚のスライディングステージ(前後左右に動く舞台)を持ち、奥舞台には18m径の盆(廻り舞台)も備える。舞台頭上への吊り上げ用に103基の電動吊り物バトンを持つ。ホリゾントは高さ30mで舞台奥を全面覆っている。こうした舞台装置全てを駆使することにより、メトロポリタン歌劇場が有する膨大なレパートリーから毎晩異なる演目を上演することができる。メトの舞台の背景画は非常に大きく、かつ緻密に描かれている。

公演放送・ライブ中継

メトは公演を生放送することでも世界的に知られる。最初の放送は1931年12月25日、フンパーディンク作曲の『ヘンゼルとグレーテル』の公演のラジオ放送であった。有名な土曜午後のテキサコ社の提供する放送番組「テキサコ・スターシアター」は、1940年12月7日にモーツァルトダ・ポンテの『フィガロの結婚』の公演で始まった。テキサコがシェブロンと合併したシェブロンテキサコは2004年4月にスポンサーを降りたが、メトは少なくとも2005年一杯は放送を続ける財源を確保している。70年間の放送史上、アナウンサーを担当したのはミルトン・クロス、ピーター・アレン、ロイド・モスのわずか3人である。

2006年から、オペラ公演を世界中の映画館にライブ中継する「ライブ in HD」が毎年10回程度行われており、日本ではライブではないが数週間遅れで、松竹系の映画館で「METライブビューイング」の名称で上映されている。

交通アクセス

関連項目

脚注

  1. ^ Associated Press (9 July 1986). “Baryshnikov, Nureyev Dance Together Again”. Los Angeles Times (LATimes.com). http://articles.latimes.com/1986-07-09/news/mn-14364_1_nureyev-dance 
  2. ^ Live at the Met 1986”. Robin Williams Fansite. 2011年5月20日閲覧。
  3. ^ “Karajan Concert Set For Pasadena”. Los Angeles Times (LATimes.com). (16 September 1986). http://articles.latimes.com/1986-09-16/entertainment/ca-10821_1_herbert-von-karajan 2011年5月20日閲覧。 
  4. ^ “Lauryn Hill, Ricky Martin and Fatboy Slim Dominate TheFinal MTV Video Music Awards Of The 20th Century”. Business Wire (allbusiness.com). (10 September 1999). http://www.allbusiness.com/media-telecommunications/movies-sound-recording/6765649-1.html 2011年5月20日閲覧。 
  5. ^ Steven Linan (6 September 2001). “MTV Awards: Simply Outrageous”. Los Angeles Times (LATimes.com). http://articles.latimes.com/2001/sep/06/entertainment/ca-42596 2011年5月20日閲覧。 

外部リンク

The Metropolitan Opera - メトロポリタン歌劇場

  • Met Opera Shop劇場内にある公式ショップ。メトロポリタン歌劇場の様々な土産品やCD、DVD、双眼鏡などオペラ関連の商品が取り扱われている。

メトロポリタン歌劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:46 UTC 版)

ジェームズ・レヴァイン」の記事における「メトロポリタン歌劇場」の解説

メトロポリタン歌劇場と関係が非常に深い。ドナルド・キーンは、 「私のようにMET70年以上みてきた人間にとって、レヴァインの登場絶対に無視できない現象であった。…かつて名歌手たちが綺羅星のごとく舞台立っていた時代でさえ、オーケストラレベルはひどいものであった。レヴァインがMET監督になってからというものの、オケ響き格段に精妙になった。これは実に驚くべきことで、今やコンサートオーケストラとしても一流と言っても過言ではないだろう。」 と語っている。レヴァインは1971年6月の『トスカ』の記念公演初めてこの劇場指揮台に立ち、大成功おさめたその後も同劇場出演重ね事となり、首席指揮者任命される1975年より音楽監督1986年からは(同劇場史上初の)芸術監督就任世界大歌劇場、コンサートオーケストラとしても類をみない長期在任が現在まで続いている。 メトロポリタン歌劇場管弦楽団およびそのメンバー編成され室内オーケストラは、忙しオペラ公演合間を縫って定期公演にも力をいれている。また、国際的な演奏旅行行なっており、2002年には還暦記念公演として、メトロポリタン歌劇場管弦楽団合唱団ワールド・ツアー行い日本では東京文化会館公演している。メトロポリタン歌劇場においてレヴァインが取り組んできたレパートリーは非常に広範かつ多彩な演目である。同歌劇場におけるデビュー25周年記念事業では、この機会のために特別に委嘱されジョン・ハービソンオペラ華麗なるギャツビー』が上演された。

※この「メトロポリタン歌劇場」の解説は、「ジェームズ・レヴァイン」の解説の一部です。
「メトロポリタン歌劇場」を含む「ジェームズ・レヴァイン」の記事については、「ジェームズ・レヴァイン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「メトロポリタン歌劇場」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

「メトロポリタン歌劇場」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「メトロポリタン歌劇場」の関連用語

メトロポリタン歌劇場のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



メトロポリタン歌劇場のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのメトロポリタン歌劇場 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジェームズ・レヴァイン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS