松平 頼則
徳川家の流れをくむ子爵松平頼孝の長男として東京に生まれる。慶應義塾大学仏文科在学中に、フランス人ピアニスト、ジル=マルシェクスの連続演奏会を聴き、音楽の道を志す。ヴェルクマイスターや小松耕輔に作曲の手ほどきを受けるが、以後ほぼ独学。1930年、清瀬保二や箕作秋吉らと「新興作曲家連盟」を結成。西洋の模倣から脱したオリジナルな創作を目指す。46年には清瀬保二や早坂文雄らと「新作曲派協会」を結成。この頃から、雅楽と12音技法を結びつけた独自の作風を確立していく。52年、《ピアノと管弦楽のための「越天楽」による主題と変奏》が国際コンクールに入賞。その名が国際的に知られるようになる。西洋の最先端の動きに反応しつつ、日本的なものと西洋的なものとを結合させてきた創作の在り方は、日本の現代音楽界の存在を世界に知らせる重要な役割を担ってきたと言えよう。上野学園大学教授、日本現代音楽協会委員長を歴任後、94歳で病没。
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