WWE入団 2009年 - 2010年
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「ブライアン・ダニエルソン」の記事における「WWE入団 2009年 - 2010年」の解説
2009年にROHと契約が満了し、WWEと契約。契約開始までの間はチカラやDRAGON GATE USAなどの団体にフリー参戦した。WWEに昇格と同時にリングネームをダニエル・ブライアンと改め、2010年2月の新番組NXT開始により「ルーキー」の一人として登場、初回から世界ヘビー級王座王者のクリス・ジェリコとシングルマッチを行った。その後は連敗を重ねたものの「プロ」による投票で1位を獲得した。しばらくした後、最下位脱落のかかったプロによる二回目の投票が行われる前週にマット・ストライカーがルーキー達に「翌週落とされるのは誰だと思う?」と質問した際、それまでNXTにおいて全敗していることから自分自身が落ちるべきだと発言、同様の発言をしたマイケル・ターヴァーとともに「自信のない人間はWWEに必要ない」というWWE上層部の判断でプロ投票とは別で脱落することとなった。この時のインタビューでブライアンは「"ダニエル・ブライアン"は消えるが、"ブライアン・ダニエルソン"はどうかな?」と意味深な発言をした。その後は(ルーキーとしては脱落したものの)NXTにおいて自身をこき下ろす実況を繰り返したマイケル・コールに怒りの矛先を向け、コールと抗争を展開するというアングルが用意され、NXTのスキットなどで抗争を繰り広げた。それはコールが実況を担当するRAWにも波及し、RAWではマット・ストライカーや『師匠』役のザ・ミズまで巻き込んでの抗争のストーリーを展開した。その後シーズン1が終了した結果、6月7日のRAWでネクサスが誕生し、他の7人と共にリングやその周辺で大暴れ。しかし6月11日、突然WWEから解雇が発表された。レスリング・オブザーバーに掲載されたリポートで本人が語ったところによると、ネクサスとしての破壊行動中、リングアナウンサーのジャスティン・ロバーツの首をネクタイで締め上げたことが放送コードに抵触したことが、解雇された理由とのことである。 その後アメリカインディーでのマットを主体にするかと思われたが、8月16日WWEのPPV、サマースラムで電撃復帰、勝利に貢献。復帰後は、元「師匠」であったミズと抗争を繰り広げ、9月19日に行われたナイト・オブ・チャンピオンズでミズを破りUS王座を獲得。10月のブラッギング・ライツでは、RAW代表としてSmackDown!代表でIC王者のドルフ・ジグラーと闘い勝利し、この試合がきっかけでジグラーとは抗争することになったが全勝を収めた。11月に二年ぶりに開催されたキング・オブ・ザ・リングトーナメントでは予選でテッド・デビアスを破るが、1回戦でアルベルト・デル・リオに敗れた。 NXTシーズン4ではデリック・ベイトマンを指導するプロとして登場した(NXT出身者がプロになったのは唯一ブライアンのみ)。
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