シーキャット (潜水艦)とは? わかりやすく解説

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シーキャット (潜水艦)

(USS Seacat から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 14:21 UTC 版)

USS シーキャット
基本情報
建造所 ポーツマス海軍造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS) →補助潜水艦 (AGSS)
級名 バラオ級潜水艦
艦歴
起工 1943年10月30日
進水 1944年2月16日
就役 1944年5月16日
退役 1968年10月2日
除籍 1968年10月2日
その後 1973年5月18日、スクラップとして売却。
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311 ft 9 in (95 m)
水線長 307 ft (93.6 m)
最大幅 27 ft 3 in (8.31 m)
吃水 16 ft 10 in (5.1 m)
主機 フェアバンクス=モース38D 8 1/8ディーゼルエンジン×4基
電源 エリオット・モーター英語版発電機×2基
出力 水上:5,400 shp (4.0 MW)
水中:2,740 shp (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25 ノット
水中:8.75 ノット
航続距離 11,000 海里/10ノット時
航海日数 潜航2ノット時48時間、哨戒活動75日間
潜航深度 試験時:400 ft (120 m)
乗員 士官6名、兵員60名
兵装
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シーキャット (USS Sea Cat, SS/AGSS-399) は、アメリカ海軍潜水艦バラオ級潜水艦の一隻。艦名は淡水魚がほとんどを占めるナマズ目(Catfish)の中で、例外的に海水魚であるハマギギ科ゴンズイ科に属する120種ほどの総称に因んで命名された。

マニラ・シーキャット(Manila sea catfish)
ガフトップセイル・シーキャット(Gafftopsail sea catfish)

艦歴

シーキャットは1943年10月30日にメイン州キタリーポーツマス海軍造船所で起工した。1944年2月21日にE・L・コクレーンによって命名、進水し、5月16日に艦長ロブ・ロイ・マクレガー中佐(アナポリス1929年組)の指揮下就役する。ニューイングランド海岸沖での公試および整調後、シーキャットは8月28日にニューロンドンを出航し、パナマ運河経由でハワイに向かった後、ハワイ海域での訓練を行った。

哨戒

10月28日、シーキャットは最初の哨戒でパンパニト (USS Pampanito, SS-383)、パイプフィッシュ (USS Pipefish, SS-388)、シーレイヴン (Searaven, SS-196) と共にウルフパックを構成し南シナ海に向かった。ミッドウェー島サイパン島を経由して南シナ海の哨戒海域に入り活動。12月3日、シーキャットは北緯06度31分 東経106度12分 / 北緯6.517度 東経106.200度 / 6.517; 106.200の地点で南下してくるヒ83船団を僚艦とともに迎え撃ち、シーキャットは2隻の日本商船に向けて雷撃し、マクレガー艦長は両方とも撃沈し15,000トンもの戦果を挙げたと考えたが、戦後の日本の記録ではタンカーはりま丸(石原汽船、10,045トン)を撃破したことが分かった[2]。シーキャットは37日間を哨戒海域で過ごした。12月28日、シーキャットは58日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投[3]。艦長がリチャード・H・バワーズ(アナポリス1938年組)に代わった。

2月1日、シーキャットは2回目の哨戒でセグンド (USS Segundo, SS-398)、レザーバック (USS Razorback, SS-394) とウルフパックを構成し東シナ海に向かった。シーキャットは九州沖での哨戒活動中、2月19日には300トンの貨物船に砲撃を加え[4]、2月15日には小型貨物船を雷撃したが魚雷は命中しなかった[5]。3月6日には2,000トン級貨物船に雷撃を行い撃沈を報告したが[6]、日本の記録ではそれを補うものはなかった。3月24日、シーキャットは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。

4月27日、シーキャットは3回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。5月25日、シーキャットは 北緯37度29分 東経124度01分 / 北緯37.483度 東経124.017度 / 37.483; 124.017の地点で海上トラックの集団を発見し、魚雷で3隻撃沈した[7]。6月7日、シーキャットは他の6隻の潜水艦と共に日本軍の輸送船団を攻撃。400トン級の敵船に対して雷撃と砲撃を行って、撃沈した船から2名の生存者を乗艦させ、尋問を行った[8]。6月25日、シーキャットは57日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

8月6日、シーキャットは4回目の哨戒で千島列島に向かう。しかしながら哨戒海域に到着後、終戦の知らせが入る[9]。シーキャットは日本本土へ向かうことを命じられ、9月2日に東京湾で行われた降伏式典に臨席し、翌9月3日に出港してグアムに向かった。9月7日、シーキャットは27日間の行動を終えてアプラ港に帰投した。

シーキャットは第二次世界大戦の戦功で3個の従軍星章を受章した。

戦後

シーキャットはアプラ港での短期間の停泊後、帰国の途に就く。サンディエゴでの作戦活動を1946年の春まで行った後、サンフランシスコ湾に向かい、1946年4月15日にオーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に到着した。オーバーホール作業は7月26日に終了し、シーキャットはサンディエゴに向かう。サンディエゴを8月12日に出航し、最初の模擬哨戒に向かう。この巡航ではハワイ、カントン島スウェインズ島サモアアタフ島青島上海を訪問した。巡航を終えるとシーキャットは大西洋艦隊に配属された。

シーキャットは1947年1月12日にパナマ運河地帯バルボアに到着、その後2年半をバルボア沖での訓練に費やし、1949年6月に母港はキーウェストに変更された。その年の秋、次回のオーバーホールで実験用の変更が実施されることが決定した。9月30日に AGSS-399 (実験潜水艦)に艦種変更され、11月7日にフィラデルフィア海軍造船所に入渠した。改修作業は1950年3月11日に完了し、シーキャットはニューロンドンを経由してキーウェストに帰還した。キーウェストを拠点として作戦活動に従事し、1952年1月9日にフィラデルフィアに向かう。1月15日に到着、シーキャットはフリート・シュノーケル改修が行われ、再度 SS-399 へ艦種変更された。オーバーホールと改修が完了すると、シーキャットは1952年6月26日にフィラデルフィアを出航しキーウェストに帰還した。母港を拠点としてカリブ海メキシコ湾およびアメリカの南海岸で活動し、1966年7月に大西洋を横断、地中海第6艦隊と共に4ヶ月間の配備に就いた。10月30日にキーウェストへ帰還すると、その後はカリブ海およびフロリダ海域で定時任務を再開した。シーキャットは1968年12月2日に退役し、同日除籍された。その後1973年5月18日にスクラップとして売却された。

脚注

  1. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.74
  2. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II。駒宮, 298ページには記載なし
  3. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.18
  4. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.74
  5. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.70,71
  6. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.72,73,87
  7. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.117,118,119,120,121
  8. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.121,122,125
  9. ^ 「SS-399, USS SEA CAT」p.148

参考文献

外部リンク




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