第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月
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「シーレイヴン (潜水艦)」の記事における「第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説
8月15日、シーレイヴンは12回目の哨戒で千島列島へ向かった。9月21日の夜、悪天候の中を浮上したシーレイヴンは北緯49度36分 東経145度30分 / 北緯49.600度 東経145.500度 / 49.600; 145.500の地点で、船団から脱落した陸軍船利山丸(宮地汽船、4,850トン)を雷撃により撃沈した。利山丸の沈没はすぐに把握できなかった。護衛の駆逐艦神風が爆発音を聞いており、状況捜索に向かった給糧艦白埼が9月28日になって北知床岬近海で多数の漂流物を発見し、これで利山丸の沈没を悟った。9月25日の夜には2隻のトロール船、4隻の大型サンパンおよび4隻の小型サンパンに遭遇した。シーレイヴンは8隻のサンパンおよび2隻のトロール船の250ヤード真横を潜航し、それぞれに1発から3発の魚雷を発射した、最初の攻撃を切り抜けた敵艦に対しても同様の攻撃を繰り返し、全てを破壊した。シーレイヴンはこの哨戒で、都合12隻の敵艦船を撃沈した。10月6日、シーレイヴンは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がレイモンド・バーストロング少佐(アナポリス1938年組)に代わった。 11月1日、シーレイヴンは13回目の哨戒でパンパニト (USS Pampanito, SS-383)、シーキャット (USS Sea Cat, SS-399) およびパイプフィッシュ (USS Pipefish, SS-388) とウルフパックを構成し、南シナ海に向かった。12月3日、シーレイヴンは北緯06度31分 東経106度12分 / 北緯6.517度 東経106.200度 / 6.517; 106.200の地点で南下してくるヒ83船団を僚艦とともに迎え撃ち、1隻の貨物船とタンカーを単独で1隻の船舶をシーキャットと共同で撃沈したと判断。しかし、これらの戦果は認定されず、シーキャットによるタンカーはりま丸(石原汽船、10,045トン)撃破のみが認定された。12月25日、シーレイヴンは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがシーレイヴンの最後の哨戒となった。
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