第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月の意味・解説 

第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/02 06:53 UTC 版)

シーレイヴン (潜水艦)」の記事における「第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説

8月15日、シーレイヴンは12回目哨戒千島列島向かった9月21日の夜、悪天候の中を浮上したシーレイヴンは北緯4936東経14530分 / 北緯49.600度 東経145.500度 / 49.600; 145.500の地点で、船団から脱落した陸軍船利山丸(宮地汽船、4,850トン)を雷撃により撃沈した。利山丸の沈没はすぐに把握できなかった。護衛駆逐艦神風爆発音聞いており、状況捜索向かった給糧艦白埼9月28日になって北知床岬近海多数漂流物発見し、これで利山丸の沈没悟った9月25日夜には2隻のトロール船、4隻の大型サンパンおよび4隻の小型サンパン遭遇した。シーレイヴンは8隻のサンパンおよび2隻のトロール船250ヤード真横潜航しそれぞれに1発から3発の魚雷発射した最初の攻撃切り抜けた敵艦に対して同様の攻撃繰り返し全て破壊した。シーレイヴンはこの哨戒で、都合12隻の敵艦船を撃沈した10月6日、シーレイヴンは52日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長がレイモンド・バーストロング少佐アナポリス1938年組)に代わった。 11月1日、シーレイヴンは13回目哨戒でパンパニト (USS Pampanito, SS-383)、シーキャット (USS Sea Cat, SS-399) およびパイプフィッシュ (USS Pipefish, SS-388) とウルフパック構成し南シナ海向かった12月3日、シーレイヴンは北緯0631分 東経10612分 / 北緯6.517度 東経106.200度 / 6.517; 106.200の地点南下してくるヒ83船団僚艦とともに迎え撃ち、1隻の貨物船タンカー単独で1隻の船舶をシーキャットと共同撃沈した判断。しかし、これらの戦果認定されず、シーキャットによるタンカーりま丸石原汽船10,045トン撃破のみが認定された。12月25日、シーレイヴンは52日間行動終えて真珠湾帰投。これがシーレイヴンの最後哨戒となった

※この「第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説は、「シーレイヴン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月」を含む「シーレイヴン (潜水艦)」の記事については、「シーレイヴン (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月」の関連用語

第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第12、第13の哨戒 1944年8月 - 12月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシーレイヴン (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS