第12、第13、第14の哨戒 1944年9月 - 1945年1月とは? わかりやすく解説

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第12、第13、第14の哨戒 1944年9月 - 1945年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/18 05:54 UTC 版)

ノーチラス (潜水艦)」の記事における「第12、第13、第14の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説

9月17日ノーチラス12回目哨戒フィリピン中部向かった9月25日ノーチラスセブ島南東部ルイサン環礁65トン貨物ガソリン積めドラム缶20本、その他燃料積めドラム缶2本を揚陸していた。ところが、作業中に事故発生して積荷燃料炎上したノーチラスは6インチ砲でこれらを処分し引き潮だったにもかかわらず3時間半環礁の外に出て夜明けまでにはこの海域離脱した9月30日にはパナイ島接近し40トン貨物47名の人員揚陸した。10月6日ノーチラス19日間の行動終えてミオス・ウンディ島帰投した。 10月10日ノーチラス13回目哨戒フィリピン中部向かったミンドロ海峡ルソン島西岸北上してバブヤン諸島通過10月23日から24日にかけては北緯15度07東経12139分 / 北緯15.117度 東経121.650度 / 15.117; 121.650のルソン島東部海岸12名の人員20トン貨物を、10月25日にはルソン島ディブット湾に貨物揚陸した。10月27日にもルソン島東部12名の人員20トン貨物揚陸した後、ノーチラス10月24日ボンベイ礁に座礁したダーター (USS Darter, SS-227) を処分する特別任務命じられた。10月31日ノーチラス現場到着し、6インチ55発を命中させた。ノーチラス報告末尾には「ダーターのどの装置ジャップにとって価値あるものかは疑問スクラップ以外としては」とあり、その報告のとおり、日本軍ダーターから何も得ることはできなかった。11月20日ノーチラス41日間行動終えてブリスベン帰投艦長ウィラード・D・マイケルアナポリス1938年組)に代わった。 1945年1月3日ノーチラス14回目哨戒ミンダナオ島方面向かった1月20日ミンダナオ島南部リナオ湾で45トン貨物揚陸し、代わりにF・Dマッキー陸軍中佐乗船させた。1月23日にはミンダナオ島東部バクリン湾に移動して45トン貨物揚陸した。1月30日ノーチラス28日間の行動終えてダーウィン帰投。これがノーチラス最後哨戒となった

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