第12、第13、第14の哨戒 1944年9月 - 1945年1月
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「ノーチラス (潜水艦)」の記事における「第12、第13、第14の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説
9月17日、ノーチラスは12回目の哨戒でフィリピン中部に向かった。9月25日、ノーチラスはセブ島南東部のルイサン環礁で65トンの貨物とガソリンを積めたドラム缶20本、その他燃料を積めたドラム缶2本を揚陸していた。ところが、作業中に事故が発生して積荷の燃料が炎上した。ノーチラスは6インチ砲でこれらを処分し、引き潮だったにもかかわらず3時間半で環礁の外に出て、夜明けまでにはこの海域を離脱した。9月30日にはパナイ島に接近し、40トンの貨物と47名の人員を揚陸した。10月6日、ノーチラスは19日間の行動を終えてミオス・ウンディ島に帰投した。 10月10日、ノーチラスは13回目の哨戒でフィリピン中部に向かった。ミンドロ海峡、ルソン島西岸を北上してバブヤン諸島を通過。10月23日から24日にかけては北緯15度07分 東経121度39分 / 北緯15.117度 東経121.650度 / 15.117; 121.650のルソン島東部海岸に12名の人員と20トンの貨物を、10月25日にはルソン島ディブット湾に貨物を揚陸した。10月27日にもルソン島東部で12名の人員と20トンの貨物を揚陸した後、ノーチラスは10月24日にボンベイ礁に座礁したダーター (USS Darter, SS-227) を処分する特別任務を命じられた。10月31日、ノーチラスは現場に到着し、6インチ砲55発を命中させた。ノーチラスの報告の末尾には「ダーターのどの装置もジャップにとって価値あるものかは疑問。スクラップ以外としては」とあり、その報告のとおり、日本軍はダーターから何も得ることはできなかった。11月20日、ノーチラスは41日間の行動を終えてブリスベンに帰投。艦長がウィラード・D・マイケル(アナポリス1938年組)に代わった。 1945年1月3日、ノーチラスは14回目の哨戒でミンダナオ島方面に向かった。1月20日にミンダナオ島南部リナオ湾で45トンの貨物を揚陸し、代わりにF・D・マッキー陸軍中佐を乗船させた。1月23日にはミンダナオ島東部バクリン湾に移動して45トンの貨物を揚陸した。1月30日、ノーチラスは28日間の行動を終えてダーウィンに帰投。これがノーチラスの最後の哨戒となった。
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