ジャム&ルイス
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ジミー・ジャム&テリー・ルイス Jimmy Jam and Terry Lewis |
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ジミー・ジャム(左)とテリー・ルイス(2012年)
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基本情報 | |
出生名 |
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別名 | Jimmy & Terry |
生誕 | |
出身地 | |
ジャンル | R&B、ポップス、ニュージャックスウィング、ヒップホップ・ソウル、ゴスペル |
職業 | 音楽プロデューサー、マルチ奏者、ソングライター |
担当楽器 | キーボード、ピアノ、シンセサイザー、ドラムマシン (ジミー・ジャム) ベース、パーカッション (テリー・ルイス) |
活動期間 | 1981年 - |
レーベル | タブー、Perspective、Flyte Tyme |
共同作業者 | ザ・タイム、ジ・オリジナル・セブン、ジャネット・ジャクソン、アッシャー、S.O.S.バンド、シェレール、アレクサンダー・オニール、ニュー・エディション、ボーイズIIメン、ヨランダ・アダムス、マライア・キャリー |
ジャム&ルイス(Jam & Lewis)は、アメリカ合衆国の音楽プロデューサー、ソングライター・デュオ。ジミー・ジャム (Jimmy Jam)とテリー・ルイス (Terry Lewis)の通称。
ジミー・ジャム(本名James Samuel "Jimmy Jam" Harris III、1959年6月6日 - )[1]は、ミネソタ州ミネアポリス出身で、テリー・ルイス(本名Terry Steven Lewis、1956年11月24日 - )[2]は、ネブラスカ州オマハ出身。テリー・ルイスは1992年にキャリン・ホワイトと結婚した。
略歴
2人は高校時代からの友人で、フライト・タイム(Flyte Tyme)というバンドを組んでいた[3]。ジミーがキーボード、テリーがベース担当であった。1981年にボーカリストのモーリス・デイ(Morris Day)が加入し、ザ・タイムと改名してプリンスのツアーでオープニング・アクトを務めるようになる。
プロデューサーとして初期にはS.O.S.バンド、シェレール、アレクサンダー・オニール、シェリル・リンらの作品で成功を収めた。先鋭的なファンクとR&Bが特徴である。制作を担当したアーティストには、ジャネット・ジャクソン、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、メアリー・J. ブライジ、ビヨンセらがいる[4]
1986年にジャネット・ジャクソンのアルバム『コントロール』を全面プロデュースして大ヒットを記録した。1989年のジャネットの次のアルバム『リズム・ネイション1814』でも成功を収め、他のアーティストにも楽曲を提供して、1980年代から1990年代初頭のアメリカのミュージック・シーンで、最も成功したプロデューサーの一組となった。
1980年代はCBS傘下のタブー・レコード(S.O.S.バンドやシェレール、アレクサンダー・オニールが所属した)での活動が主だったが、1991年にはA&Mレコード下に自らの主催レーベル「パースペクティブ」を設立。サウンズ・オブ・ブラックネス、ミント・コンディションなどのアーティストを輩出したが、その後の業績は振るわず、1997年にレーベルは閉鎖された。
1999年から2000年に、宇多田ヒカルのシングル「Addicted To You」「Wait & See 〜リスク〜」を手がけ、日本国内ツアー(BOHEMIAN SUMMER 2000)にはゲスト・プレイヤーとして参加した。2000年代の活動は活発ではないが、2007年に全面プロデュースしたチャカ・カーンのアルバムがグラミー賞を受賞するなどしている。2014年には、日本人ギタリストMIYAVIの「real?」をプロデュースした。
2022年5月4日、米Rock & Roll Hall of Fame Foundationのロックの殿堂にて、ミュージカル・エクセレンス賞を受賞[5]。
代表曲
- S.O.S.バンド : "Weekend Girl" (1985年)、「ファイネスト」 (1986年)
- チェンジ : "You Are My Melody" (1984年)
- フォースM.D.'S : 「テンダー・ラヴ」 (1986年)
- シェレール : "Artificial Heart"、"Saturday Love" (1985年)、"Everything I Miss At Home" (1988年)
- ヒューマン・リーグ : 「ヒューマン」 (1986年)
- アレクサンダー・オニール : "Innocent" (1985年)、「フェイク」、"Never Knew Love Like This" (1987年)、「オール・トゥルー・マン」 (1991年)
- キャリン・ホワイト : 「ロマンティック」 (1991年)
- ロバート・パーマー : 「ターン・ユー・オン」 (1986年) ※シェレールのカヴァー
- サウンズ・オブ・ブラックネス : "The Pressure" (1991年)、"I'm Going All The Way" (1993年)、「アイ・ビリーヴ」 (1994年)
- ラルフ・トレスヴァント(en:Ralph Tresvant) : 「センシティヴィティ」 (1990年)
- ジャネット・ジャクソン : 「ナスティ」 (1986年)、「それが愛というものだから」 (1993年)、「ダズント・リアリー・マター」 (2000年)、「オール・フォー・ユー」 (2001年)
- マライア・キャリー : 「サンク・ゴッド・アイ・ファウンド・ユー」 (2000年)、「ネヴァー・トゥー・ファー」 (2001年)、「スルー・ザ・レイン」 (2002年)
- ニュー・エディション : "Can You Stand The Rain" (1988年)
- ボーイズIIメン : 「ベンデッド・ニー」 (1994年)、「シーズンズ・オブ・ロンリネス」 (1997年)
- メアリー・J. ブライジ : 「ラヴ・イズ・オール・ウィ・ニード」、「エヴリシング」 (1997年)
- マイケル・ジャクソン&ジャネット・ジャクソン : 「スクリーム」
- アッシャー : "U Remind Me" (2001年)
- 島谷ひとみ : 「パピヨン〜papillon〜」 (2001年) ※ジャネット・ジャクソン「ダズント・リアリー・マター」のカヴァー
日本人音楽家のプロデュース
- 宇多田ヒカル : 「Addicted To You」 (1999年)、「Wait & See 〜リスク〜」 (2000年)
- MIYAVI : 「real?」 (2014年)
関連項目
脚注
- ^ “Jimmy Jam - Biography”. AllMusic. 2015年2月15日閲覧。
- ^ “Terry Lewis - Biography”. AllMusic. 2015年2月15日閲覧。
- ^ 「Flyte Tyme」の名は、ジャム&ルイスが主催するプロダクションの名として現在も残っている。
- ^ Savage, Mark (May 27, 2005). “The Hitmakers: Jam and Lewis”. BBC July 29, 2011閲覧。
- ^ “デュラン・デュラン、エミネム、ドリー・パートンらロックの殿堂入り”. BARKS. 2022年11月8日閲覧。
「Terry Lewis & Jimmy Jam」の例文・使い方・用例・文例
- OasisソフトウェアのTerry Williamsに手伝ってもらい、私が講習会を実施します。Oasisソフトウェアは、この先駆的なシステムを作り出した会社です。
- こんなに遅くにお邪魔してご迷惑でなければいいのですが⑩出港するセックスする
- ケイジャン、R&B、ジャズ、ゴスペルとともにザイデーコも演奏された。
- M&Aブティックに会社の売却を相談します。
- M&A銘柄を取引する
- コングロマリット型M&Aとは、二つの異なる産業や地域の間の企業合併である。
- M&Aはバイヤーズ・バリューがセラーズ・バリューを上回っていなければ成立しない。
- マネジメントバイアウト(MBO)は一種のM&Aだ。
- 積極的なM&A投資家は、ファンドのハンズオフアプローチにしばしば不満を抱いている。
- しばしばM&A業界にては、「資金調達」よりも相手を見つける「ファインディング」のほうが困難と言われる。
- 今日のファッション産業には、ザラ、H&M、ユニクロなど世界をリードする多国籍小売業者が含まれる。
- 我々は、B社を救済型M&Aで吸収合併し、会社再建を行う。
- 今日我々は、売り手企業と、M&Aの契約締結に向けた最終契約書の内容確認を行います。
- 会社はM&Aで急激に拡大することが可能だ。
- 英国のM&A取引のほとんどは買収と合併に関するシティコードによって管理されている。
- ABC社はM&A計画の準備として、マーケットアプローチを使ってEGF社の評価を行った。
- 企業の取締役がM&Aのメリットを考える場合、注目するのがレガシーコストやその他の長期負債である。
- M&Aに関する財務デューデリジェンスの実施においては、目標となる企業に関係した財務上および会計上のリスクを特定することが非常に重要である。
- 当社は垂直型M&Aによって製造から販売まで一貫性のある体制を構築した。
- 我々は水平型M&Aによって市場シェアの拡大を図った。
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