Schiff 50
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/20 13:31 UTC 版)
「ズマイ (水上機母艦)」の記事における「Schiff 50」の解説
1942年11月6日、Schiff 50と改名され、エーゲ海からギリシャ西海岸への機雷敷設作戦を指揮した。1943年9月のイタリア降伏後輸送任務に用いられ、10月2日から3日のコス島攻略作戦(コス島の戦い、Operation Eisbär)に投入された。 8日、イギリス潜水艦アンルーリーの攻撃を受けたが、損傷無く終わっている。なお、この時僚艦ブルガリアが、撃沈されている。 最も成功した機雷敷設は、レロス島上陸作戦(レロス島の戦い)を支援するためにプセリモス島(Pserimos)及びカリムノス島東岸に行ったものである。レロス島のイギリス軍への補給物資・増援を輸送中のイギリス駆逐艦ハーワース及びギリシャ駆逐艦アドリアスが10月22日に機雷原に進入、最初に触雷したアドリアスは艦首を失い、救援に向かったハーワースも触雷し、こちらは沈没した。アドリアスは脱出に成功し、アレクサンドリアまで後退することになった。さらに2日後増援を乗せたイギリス駆逐艦エクリプスが同じ機雷原に進入し、触雷。こちらは2分で爆発を起こし、5分で沈没した。 増設された飛行甲板は、Fl 282の搭載試験に用いられ、V6とV10が1942年から1943年1月、2月と離着艦を繰り返した。これは、ヘリコプターによる対潜作戦及び掃海を想定してのものであったが、目視によるため晴天時の運用に限られることが明らかとなった。 1943年から1944年初頭にかけて航空機による数度の攻撃を受けたが、軽微な損害を2度被ったにとどまった。1944年には対空火器が増強され、20mm4連装対空機関砲が艦橋両サイドに追加され、トップヘビーを避けるため105mm砲は88mm砲に換装された。しかし、航空機に対する備えとしては十分と言えず、サモス島ヴァシーに停泊中の1944年9月29日午後、数機のブリストル ボーファイターによる攻撃を受けて火災が発生、2時間後に爆発・沈没した。死者は11人であった。残骸は引き上げられることなく放置され、戦後に解体された。
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