ハリマンの対抗策と株価上昇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:15 UTC 版)
「1901年恐慌」の記事における「ハリマンの対抗策と株価上昇」の解説
ところがこれに対してUP陣営は、CB&Qの経営権を取得した親会社であるところのNPごとCB&Qの経営権を得るという画策を開始した。現代でいうところのパックマン・ディフェンス方式である(攻撃であるのでオフェンスであるが)。その策略は、モルガンと敵対していた投資銀行であるクーン・ローブ商会(Kuhn, Loeb & Co.)と、その頭取にしてかつてモルガンの強い影響下にあった銀行家・ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff)と共に進められた。 UPのハリマンは密かに株を買い進めたため、1901年4月から株価は急騰し、それを喜んだNPの重役までもが株を放出した。5月に入ってさらに急騰し、5月4日土曜日、ハリマンはNP株の過半数にあと4千株、というところまでNP株を買い進めており、残る4千株をなんとしてでも買い進めるようにクーン・ローブ商会に命じたが、責任者にしてユダヤ教徒であるシフは安息日の土曜日を理由に寺院の礼拝に出席中であったために注文が実行されずにいた。 同日、NPのヒルがこの動きを察知し、イタリアにバケーションに出かけていたモルガンに対処を尋ねると、価格を問わず発行済み普通株の50%である37万5千株が確保できるよう15万株を買うようにと回答した。翌5月5日は日曜日だったため、ヒル側は対策を練る時間を稼ぐことができた。ハリマンは優先株をコントロールすることができたが、ヒルは会社の内規で普通株の株主たちが優先株の発行を拒否することができることを知っていた。
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