SCRAMBLE結成・プロ活動開始(1980年~1989年)
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1980年、21歳の時に第2回原宿音楽祭ベストキーボード賞を受賞。1981年、成城大学軽音楽部の仲間、相沢美彦(Drs)、石橋和義(G)、香西秀紀(B)と第1期 SCRAMBLE結成、フリーバル'81にて「Night Games」で出場、グランプリ受賞。その後、「Street Runner」を発表。この頃からバックミュージシャンとしてプロ活動開始。バックをつとめたミュージシャンに当時人気声優であった水島裕などが居る。水島には「無邪気な関係」などで楽曲提供もしていた。 1982年、相沢美彦(現あいざわ元気)(Drs)、福田真國(G)、新村清之(B)のメンバーで第2期SCRAMBLEを始動。以降各地ライブハウスで本格的に活動を開始。同年夏にALFEE(THE ALFEE)に野外コンサートにキーボーディストとして参加。以降ライブ、レコーディングへ参加するようになる。 1985年にSCRAMBLEは新村清之(B)が脱退。一井雅樹(B)が加入し第3期がスタート。全国規模のツアーを展開。自身のバンド活動とアルフィーのサポートメンバーの両立に悩んだ末、その年の12月にALFEEのツアーから離れる。 1987年4月4日、SCRAMBLEはデビュー前に渋谷公会堂にて初ホールコンサートを成功させ、続く6月にアルバム「東京千一夜物語」とシングル「愛の放浪者〜Odyssey〜」を引っさげ、SMSレコードよりデビューしたが、直後にレコード会社が社長の急逝により消滅となる。 1988年2月7日、自身最大のステージとなったという日本青年館にてコンサートを行う。この公演をもって活動を一時休止。 1989年4月 SCRAMBLE としてポリドール(現在のユニバーサルミュージック (日本))からアルバム「After Five Avenue」シングル「とても子供だった」を発売し、再デビューとなる。同年7月に発売されたシングル「週末(ウィークエンド)は旅人」がテレビ朝日「OH!エルくらぶ」(当時の司会は田中康夫)テーマソングとなる。
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