SBK - シリーズ引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:29 UTC 版)
「岡田忠之」の記事における「SBK - シリーズ引退後」の解説
WGPを離れた岡田は2001年、ロードレース界のもう一つの世界選手権・スーパーバイク世界選手権 (SBK) に参戦する。心機一転期待されたシーズンであったが結果は未勝利に終わり、チームメイトで前年チャンピオンのコーリン・エドワーズとは水をあけられた。また、前年の雪辱を果たすべく必勝を誓った鈴鹿8耐ではトップ争いの最中に自ら転倒、2位に入るもそれは岡田の望んだ結果ではなかった。 2001年全日本ロードレース選手権最終戦鈴鹿・SB(スーパーバイク)クラス。スポット参戦で2位に入ったこのレースをもって岡田は第一線を退き、シリーズ戦からの引退を表明。翌年からの全日本TEAM HRC監督就任が合わせて発表された。 その後、ホンダのMotoGP助監督やイギリススーパーバイク選手権 (BSB) 監督を歴任。主な教え子には玉田誠、ニッキー・ヘイデン、清成龍一がいる。2006年に宇川徹に代わってホンダMotoGPテストライダーに就任。ホンダのタイトル奪還へ縁の下の力持ちとなっている。 シリーズ戦は引退しても鈴鹿8耐には2008年を除き毎年出場しており、これは同い年のライバル・伊藤真一が未だに現役ライダーとして活躍していることに対する対抗意識があるものと思われる。ただし伊藤との仲はむしろ良いほうで、4輪のスーパー耐久ではTUBEの松本玲二、伊藤とのトリオでインテグラを駆り参戦したりもしている。 2008年、ホンダの新開発ニューマチックバルブ搭載のRC212Vの実戦テストとして2000年以来となるWGPイタリアGPにスポット参戦し、14位入賞を果たす。 また、日本のMotoGP放送解説者(~2004年:NHK-BS1、2005年~:日テレG+)としても活動。辛口解説者として知られ、特に前述の弟子に対してのコメントは厳しいものがある。 2013年からチーム監督として「イデミツ・ホンダ・チーム・アジア」を立ち上げ、高橋裕紀・中上貴晶らを擁してmoto2・Moto3クラスに参戦。2018年に青山博一に監督のポジションを譲った。
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