PDR1/PDR2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/04 08:48 UTC 版)
「レイランド・アトランティアン」の記事における「PDR1/PDR2」の解説
1956年に製造と使用に関する法令(Construction and Use Regulations)の改正が行われ、2階建バスの最大長が30 ftに伸ばされたことにより前車軸の前に幅広の乗車口を設けることが可能となった。これにより当初は運転手が乗客の乗車を確認し車掌が料金を収受することができるようになったが、直ぐにこの構造はワンマン運行が可能な形態であることが分かった。レイランド社は新しい法令に乗じて、アールズコート(Earls Court)で開催された1956年度の商業車ショー(Commercial Motor Show)で「アトランティアン」の最初の試作車を発表した。この車両はバス製造業者が規定した前方乗車口を備えていたが、幾つかの要因が市販に当たっての障害となっていた。主な問題は、ベンチシートを使用した車室内に相変わらずエンジンが置かれていたため下層の車室内でのエンジン騒音が酷いことであった。 機械的にはアトランティアンの試作車の281 ATCはローローダーに類似しており、車体後部にO.600エンジンを横置きに搭載し、ニューマチック・サイクリック変速機を横並びにエンジンと直列に結んでいた。アトランティアンは軽量で強靭なフレーム外皮構造であった。フレームの補強と客室の床の土台という双方の目的を満たすために、軽合金製の床板はフレームに直接リベットで留められた。試作車はローローダー出自のプラットフォーム型式のフレーム構造を踏襲しており、ドロップセンター式の後輪車軸のおかげでバスの全長に渡り地面から僅か1段の高さの段差の無い床を実現していた。 この試作車は国内中の様々なバス会社へ披露された。もう1台登録されなかった同型車がテストベッドとして使用され、最終的に2台共スクラップにされた。 1958年までにレイランド社は大部分の問題点を解決し、エンジンは車体後部の客室とは切り離され独立したエンジン室に収められた。ホイールベースが16ft 3inの最初の量産車「アトランテイアン PDR1/1」が1958年度の商業車ショーで発表された。この量産車は、リーフスプリングの通常型式の前後車軸、溝型鋼フレームを使用した試作車よりも簡潔な機械機構を有していた。このシャーシにグラスゴー社(Glasgow Corporation)、ジェームズ・オブ・アマンフォード社(James of Ammanford)、ウォラシー社(Wallasey Corporation)が各々架装した最初のバスが1958年12月に運行を開始した。 1964年以降アトランティアンにドロップセンター式の後輪車軸がオプションで提供された。この型式のアトランティアンは「アトランテイアン PDR1/2」として知られ、その後期型は「アトランテイアン PDR1/3」となった。1967年にレイランド社は全長33 ftのボディを架装できる「アトランテイアン PDR2/1」を発表した。 バス会社の中には当初その実績のある信頼性からフロントエンジンの車両を購入し続けるところもあったが、アトランティアンは成功作となった。国有バス会社(National Bus Company)とスコティッシュ・バス・グループ(Scottish Bus Group)は各々ブリストル・VR(Bristol VR)とデイムラー・フリートライン(Daimler Fleetline)を好んで使用したが、アトランティアンは地方自治体のバス会社でその人気の高さを証明した。アバディーン、グラスゴー、エディンバラ、ニューカッスル、マンチェスター、リヴァプール、ノッティンガムやサンダーランドの会社で多数のアトランティアンが購入された。 1972年までに6,000台以上のアトランティアンが運行された。
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