ドイツ自由民主党
(Liberal Democratic Party of Germany から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 14:04 UTC 版)
ドイツ自由民主党 Liberal-Demokratische Partei Deutschlands |
|
---|---|
![]()
党旗
|
|
党首 | Rainer Ortleb |
成立年月日 | 1945年 |
解散年月日 | 1990年 |
解散理由 | 自由民主党への合流 |
本部所在地 | ![]() |
政治的思想・立場 | 中道・自由主義→ 左翼・マルクス・レーニン主義→ 中道・自由主義 |
ドイツ自由民主党(ドイツじゆうみんしゅとう、Liberal-Demokratische Partei Deutschlands 略称:LDPD)は、かつて旧東ドイツに存在した名目上の野党(衛星政党)。ドイツ再統一後は西ドイツの中道・自由主義政党の自由民主党(Freie Demokratische Partei 略称:FDP)へ合流しており、現存していない。
結成
1945年7月5日、ヴァイマル共和政時代の中道・リベラル寄り自由主義政党だったドイツ民主党を復活させることを目的として結成された。しかし結党時から、より保守的な旧ドイツ人民党、旧ドイツ国家人民党の勢力も合流していた。旧中央党の勢力が結集したドイツキリスト教民主同盟(CDU、のちのドイツキリスト教民主同盟 (東ドイツ))と同じように私有財産を擁護して国有化に反対し、反ファシズム(反ナチズム)であると同時に反共主義的だった。
衛星政党化

ソ連占領区域にてソ連がドイツ共産党(KPD)とドイツ社会民主党(SPD)を合同させ結成を後押ししたドイツ社会主義統一党(SED、実質的な共産党)の力が強まると、反共主義的な指導部や党員は西側に追放されて、親ソ・容共的なヴィルヘルム・キュルツ(Wilhelm Külz)が党首となり、ドイツ民主共和国が成立し人民民主主義体制が確立すると、SED主導のヘゲモニー政党制に組み込まれ、その衛星政党となった。それまでに西側の自由民主党(テオドール・ホイスが率いていた)との合同の試みもあったが、失敗に終わっている。またソ連軍や社会主義統一党はドイツ自由民主党に対抗させるため、わざわざ元ナチ党員を基盤にドイツ国家民主党(NDPD)を結成させている。党名も当初は自由民主党(Liberal-Demokratische Partei (LDP))だったが、SEDの政策に基づいて1951年に "Deutschlands (D)" を追加し、LDPDとなった。
東ドイツ時代から再統一へ

東ドイツにおいては、ドイツ自由民主党は人民議会の500議席中52議席を割り当てられ、形式的な勢力を保っていた。しかし当局や社会主義統一党の施策に反対することはほとんどなかった。だが1967年にマンフレート・ゲルラッハが党首となって以降、1980年代には微妙に当局と距離をとり始め、東欧革命とベルリンの壁崩壊に際しては比較的早い時期からエーリッヒ・ホーネッカーの独裁体制に異を唱えた。ゲルラッハは東ドイツの国家元首である国家評議会議長に就任した。
東ドイツ最初で最後の自由選挙となった1990年3月18日の人民議会選挙では党名をLDPに戻したうえ、東ドイツ自由民主党(Freie Demokratische Partei der DDR)、ドイツ・フォーラム党(市民団体・新フォーラムの反共保守派が組織した政党)と自由民主同盟(Bund Freier Demokraten, BFD)を組んで5.3%の得票で21議席を獲得した。
その後、BFDを組んだ他党やドイツ国家民主党とともに、1990年8月11日に、西ドイツ側の自由民主党にドイツ再統一に先んじて吸収合併された。
歴代党首
- 1945 : ヴァルデマール・コッホ(Waldemar Koch)
- 1945-1948 : ヴィルヘルム・クルツ(Wilhelm Külz)
- 1948 : アルトゥール・ロイテナント(Arthur Lieutenant)
- 1948-1949 : カール・ハマン(Karl Hamann)
- 1949-1950 : ヘルマン・カストナー(Hermann Kastner)
- 1951-1960 : ハンス・ロッホ(Hans Loch)
- 1960-1967 : マックス・ズールビアー(Max Suhrbier)
- 1967-1990 : マンフレート・ゲルラッハ(Manfred Gerlach)
- 1990 : ライナー・オルトレーブ(Rainer Ortleb)
外部リンク
「Liberal Democratic Party of Germany」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
- Liberal Democratic Party of Germanyのページへのリンク