JPモルガンのドイツ支店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/11 13:27 UTC 版)
「ドレスナー銀行」の記事における「JPモルガンのドイツ支店」の解説
大不況が西欧の繊維業を衰退させてゆき、ドイツ帝国の経済的重心を移動させた。1870年代にいくつかの銀行や金融会社を吸収したドレスナー銀行は、ベルリン支店が急拡大しドレスデン本店より大きくなった。そこで1884年に本店をベルリンに移した。もっとも1950年まで裁判管轄地はドレスデンに残した。この1884年にはJPモルガンと関係を築いていたといわれる。ドレスナーは先述のアングロ・ドイチェ・バンクをふくむさらに多くの銀行を買収、1895年には最初の国外支店であるロンドン支店も開きドイツ最大級の支店ネットワークを持つ銀行となった。1905年、JPモルガンのコルレスバンクとなり、モルガンの利益代表者となった。1906年、ドレスナーはドイツ・オリエントバンクを設立した。モルガンのコルレスバンクは、ドイツの正金を1907年恐慌のとき流出させるだけでなくAEGのメインバンクとなった。ヴェルサイユ条約による外国資産の没収はモルガンにとり無問題であった。 世界恐慌のあおりでアメリカからの投資が一斉に引き上げられたヴァイマル共和政の産業は打撃を受けた。1931年7月にはドイツ第2位の大銀行ダナート銀行(Danat-Bank, Darmstädter und Nationalbank, 日本語での詳細)が支払い停止に陥り、ドイツ金融界全体の信用が地に墜ちる金融危機が発生し、その結果無数の企業が倒産した。ドレスナーはドイツ国政府の命令でダナートを吸収したが、その後ドレスナーも危機に陥り、株の66%をドイツ国が、25%をドイツ金割引銀行(Deutsche Golddiskontbank)が保有することで救済された。ナチスと結びついたドレスナー銀行はその後急拡大した。1935年アーリア化をさきがけドレスデンのユダヤ系金融機関を吸収し、またナチスの行う諸事業(レンダーバンク傘下等)に融資を行った。ドレスナー銀行は1937年に再度私有化された。第二次世界大戦の開始直後には占領地や領土の東方への拡大で利益を得たものの、戦争によって支店建物の80%が失われる被害を受けた。戦後、ソ連占領地区の支店はすべて閉鎖され、米英仏占領地区の支店網も複数の小銀行へと解体された。ハイパーインフレーションで金融は混乱したが、ドイツマルク導入による通貨改革で業務は通常に戻った。
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