IRTによる建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/12 08:51 UTC 版)
「スタインウェイ・トンネル」の記事における「IRTによる建設」の解説
1899年8月、オーガスト・ベルモント・ジュニア率いるインターボロー・ラピッド・トランジット (IRT) がニューヨーク最初の地下鉄の建設と運営、そしてマンハッタン区内の高架鉄道の買収を行い市内の高速輸送鉄道を独占した。1902年2月、IRTはニューヨーク・アンド・ロングアイランド鉄道とニューヨーク・アンド・クイーンズ・カウンティ鉄道を買収した。 IRTはトンネルの建設計画および調査を一から始めた。イースト川を通過する新しい地下線のトラム路線のトンネルとしての建設となり、路線はマンハッタン区の42丁目とパーク・アベニューの交差点を曲がりイースト川を潜ってクイーンズ区のバーノン・ブールバードへ出て、ニューヨーク・アンド・クイーンズ・カウンティ鉄道と接続する計画であった。路線にはマンハッタン区にレキシントン・アベニュー駅、クイーンズ区にバーノン・ブールバード-ジャクソン・アベニュー駅・ヴァン・アルスト・アベニュー駅の計3駅が建設されることになった。総工費は8,000,000ドルと見積もられた。しかし、市はこのトンネル建設計画に何度も反対し、数回の事故の後に建設をほとんど中止させた。 トンネルの4つのシャフトは西側から順に1 - 4の番号が与えられた。1905年7月14日に最初のシャフトとなるクイーンズ区の4番シャフトが底面まで掘り下げられ、トンネルの建設が開始された。9月1日までにマンハッタン区の2番シャフトも掘り下げられた。3番シャフトは花崗岩が僅かに露頭していた場所を拡張して人工島としたベルモント島に作られた。トンネルは1907年5月16日に貫通し、施工開始から26ヶ月後のトンネルは1907年9月24日に内部の整備が終了し開通した。 トンネルの開通により50本の路面電車の運転が可能になった。車両は両端に片開ドアがある長さ42フィート5インチ (12.93メートル)、幅8フィート11インチ (2.72メートル) の全鋼製車両であった。電気は天井に吊り下げられた鉄製のレールに流れており、車両に付けられた高さ11 3⁄8インチ(290ミリメートル)のパンタグラフから取り入れられた。また、乗入先の併用軌道区間での運転も行うためトロリーポールも付けられていた。 開通後、試運転列車の運行が行われたがベルモントはトランジット路線を運営するための占有権を有していなかった。トンネルを運営するための免許は1907年1月1日に失効しており、ニューヨーク市はこの免許の更新を行おうとはしなかった。市は私営の地下鉄を容認せず、IRTがトンネル内を路面電車として運行することを法的に禁止した。このためこの後5年間路面電車の運行は行われず、1913年にデュアル・コントラクトにて建設される新しい地下鉄フラッシング線の一部としてトンネルが使用されることになり、ベルモントは市にトンネルを売却した。
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