G車(176 - 195→201 - 220)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/28 23:56 UTC 版)
「神戸市交通局200形電車 (初代)」の記事における「G車(176 - 195→201 - 220)」の解説
1910年4月5日に私鉄の神戸電気鉄道として開通し、1917年に神戸市電気局(現:神戸市交通局)が運営する公営路線となった神戸市内の路面電車網は開業時から先進的な車両が積極的に導入されており、開業時に導入されたA車(1 - 50)は日本の路面電車車両として初めて空気ブレーキを採用し、初の大型ボギー車となったC車(91 - 100→501 - 510)は他社に先駆けて車輪径が短い台車を採用し床面高さを低くした。これらを含む大正時代まで製造された車両は車体に木製部品を用いた木造電車であったが、神戸市電気局の技師であった古林謙三は海外で普及していた鋼製部品を用いる半鋼製車体をいち早く導入し、安全性と経済性を向上させることを決めた。これが"G車"と呼ばれる車両群である。 台車や主要機器は海外メーカーの部品を用いた一方、半鋼製車体については日本企業である川崎造船所(現:川崎重工業車両カンパニー)と田中車輌(現:近畿車輛)の工場で製造された。そのうち田中車輌で製造された20両は徳庵駅最寄りに工場が移転してから初めて製造した車両となった。車体寸法については木造低床二軸車であるD車の設計を踏襲したものであった。 安全対策として、G車は半鋼製車体と共に救助網装置を初めて採用した。これは前面に障害物が接触した場合台車前部に設置された救助網が落下し、障害物が車輪に巻き込まれるのを防ぐと言うもので、以降神戸市電が導入した新造車に標準装備として採用され、40年近くに渡って人身事故が発生しないという実績を挙げた。また、神戸市電や神戸市営地下鉄で採用されている独特の車番標記の字体もG車から始まったものと言われている。 1922年に製造された際の車番は176 - 195であったが、翌1923年に201 - 220と変更されている。
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