FDP党首に
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「ギド・ヴェスターヴェレ」の記事における「FDP党首に」の解説
西ドイツ(当時)のノルトライン=ヴェストファーレン州バート・ホンネフ生まれ。父は弁護士、母は判事という法律家の家に生まれる。両親が離婚し父のもとで育つ。1980年にアビトゥーアに合格。同年、自由民主党(FDP)に入党。FDPの青年団組織「Junge Liberalen」(JL) の共同設立者となる。ボン大学で法学を学ぶ。在学中の1983年、JLの連邦代表に選出され、1988年までその座にあった。1987年、第一次司法試験(司法修習試験)合格。1991年、第二次司法試験(国家司法試験)合格。同年弁護士免許取得。1993年、ボン地区の党代表に就任。翌年ハーゲン通信大学から「政党法と政治的青年団組織」の研究で法学博士号を授与。 1994年、当時のクラウス・キンケル党首の下でFDPの事務局長に就任。同職を2001年まで務め、事務局長として党綱領の更新に携わった。1996年2月8日、比例リスト上位の議員の離職に伴い、ドイツ連邦議会の議席を得る。以後現在まで連邦議会に議席を保持。2001年5月4日の党大会でヴォルフガング・ゲルハルトの後継として39歳で党首に選出された。党首としてFDPの力点を教育・経済政策に置き(新自由主義的である)、ドイツの伝統的二大政党であるドイツキリスト教民主同盟(CDU)ともドイツ社会民主党(SPD)とも異なる選択肢となるべく、国民的政党への脱皮を図る方針を発表。
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