FDN結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 04:27 UTC 版)
「民主革命党 (メキシコ)」の記事における「FDN結成」の解説
メキシコ史上最も有名な大統領であるラサロ・カルデナスの息子クアウテモク・カルデナスは、1970年に出版された日記でPRI(制度的革命党)の保守的、反革命的転向を厳しく弾劾、PRI内における左翼の不満分子の存在を示唆した。 この左翼勢力は、マドリ・ウルタード大統領が1980年代に自由主義的改革を始めるに当たって大幅に急増した。 そして1986年、クアウテモク・カルデナスは党内に「民主潮流」(CD)派を結成。1987年10月、PRI大統領候補指名争いに敗北したことを受けて離党。CDと親政府系左翼諸政党を糾合してFDNを結成し、大統領選出馬を目指した。翌1988年には、メキシコ社会主義党(PMS、メキシコ共産党の後継政党)など反政府系左翼諸政党の支援を取り付け、中道左派~左翼の統一候補として7月の大統領選に臨んだ。 選挙は、実際の得票はカルデナス候補が勝っていたのではないか、と言われるが、途中で集計用コンピューターが停止し、復旧すると得票が停止前とは一変していた、など不可解な経過をたどって、与党PRIのカルロス・サリナス候補の勝利が宣言された(カルデナスの公式の得票率は約30%)。しかし全国で不正選挙に対する抗議が渦巻く中、同年8月の国会選挙でFDNは大躍進を遂げた。
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