EMCとウィントン・エンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 05:09 UTC 版)
「エレクトロ・モーティブ・ディーゼル」の記事における「EMCとウィントン・エンジン」の解説
EMDのルーツは、エンジニアリング会社であるエレクトロ・モーティブ・エンジニアリング・カンパニーと、エンジン製造会社であるウィントン・エンジン・コーポレーション(以下ウィントン)に遡る。 1922年、ハロルド・L・ハミルトンとポール・ターナーによってエレクトロ・モーティブ・エンジニアリング・カンパニーがオハイオ州クリーブランドに設立された。ウィントンとともに、ガソリンエンジンを使用した鉄道車輌等を製造し、翌年には2両のガソリン式気動車を販売。1台はシカゴ・グレートウェスタン鉄道、もう1台はノーザン・パシフィック鉄道が購入し、1924年に納車された。両者とも非常に調子がよく、両鉄道会社も満足のいく成果を得たことで、設立したばかりの会社ながら良い仕事をする会社だという評判が広まった。1925年、会社の名前をエレクトロ・モーティブ・カンパニーへと変え、フルスケールの車両製造に乗り出した。レールカーは27台売れた。 ハミルトンは「ディーゼル機関車の父」と呼べる存在である。彼は、疑うことなく電気式ディーゼルのシステムを各鉄道に説いていった。ハミルトンの鉄道人としてのキャリアは、サザン・パシフィック鉄道の消防係から始まり、大陸横断鉄道の機関車技術者を経てフロリダ・イースト・コースト鉄道の管理者となった。後にデンバーで自動車のマーケティング業務に携わった際、ハミルトンは初期の電化鉄道の経験と鉄道の必要性、そして大きく重い自動車に対面したことから、すぐに蒸気機関車よりも効率に優れる、内燃機関で発電してモータを駆動する機関車のシステムを考案した。彼はトラック販売の仕事を辞め、ホテルの一室に彼のパートナーと設計者と会社を開き、1923年に初めての電気式ディーゼルの鉄道車両を試作した。そして1920年代後半からは、ガソリンエンジンよりも高効率なディーゼルエンジンを鉄道車輌に搭載できないか検討を開始した。しかし、燃料噴射ポンプや補機類の開発に難航していた。ハミルトンは、その解決のためには1000万ドルの資金が必要だと見積もっていた。
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