ウィントン社のその後
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「アレグザンダー・ウィントン」の記事における「ウィントン社のその後」の解説
上流階級への売り込みが功を奏し、1910年まで事業は好調に持続する。 1910年代には自動車会社が次々と創業され、われ先にと改良を重ねていた。会社同士の競争は熾烈さを極め、ウィントンは1924年撤退を決意する。彼の車は1924年の最後まで手作りだった。その後は、マリン関連、ガソリンスタンド事業、ディーゼルエンジンの製作に事業を絞り会社を継続する。ディーゼルエンジン事業には1912年にウィントン・エンジン・カンパニー(Winton Engine Company)を興し参入していた。 1932年、アレグザンダー・ウィントン、永眠。 1930年にこの子会社はGM傘下となり社名をウィントン・エンジン・コーポレーション(Winton Engine Corporation)とした。実用的な2サイクルのディーゼルエンジンを開発し、400hpから1,200hpを出力した。これはGM傘下のエレクトロモーティブコーポレーション(EMC)が1935年当時製作したディーゼル機関車の初期型や海軍の発注した潜水艦に使われていた。この事業部門は、現在のEMDに引き継がれている。 GM傘下になった経緯およびウィントン製エンジンがどのように使用されたかは、「エレクトロ・モーティブ・ディーゼル#EMCとウィントン・エンジン」および「EMC製のウィントンエンジン搭載の入換機#201-A型エンジン」も参照 ウィントン・モーター・キャリッジ・カンパニーは1936年にはマリン海軍向け事業とガソリンスタンド事業のみとなり、1937年にGM傘下のクリーブランド・エンジン部門として再編されていたが、1962年に部門は廃止される。
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