CERN、ヨーロッパ、オセアニア、アジアとは? わかりやすく解説

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CERN、ヨーロッパ、オセアニア、アジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:22 UTC 版)

インターネットの歴史」の記事における「CERN、ヨーロッパ、オセアニア、アジア」の解説

1984年から1988年までに、CERN同機構内主なコンピュータシステムワークステーションPC加速器制御システムTCP/IP相互接続する作業行ったCERN内部ではこのネットワーク CERNET を使い外部との接続には非互換いくつかのネットワークプロトコルを使うという状態をしばらく続けた当時ヨーロッパでTCP/IP広範囲採用にはかなりの抵抗があり、CERNTCP/IPイントラネット1989年までインターネットとは隔絶していた。 1988年アムステルダム数学コンピュータ科学センター (CWI) の Daniel Karrenberg がCERNTCP/IP担当者 Ben Segal を訪ねヨーロッパ側の(主にX.25使用していた)UUCPネットワークTCP/IP移行させるに関して助言求めた。それに先立って1987年Ben Segal は当時まだ小さな会社だったシスコシステムズのレン・ボサック(英語版)と会いTCP/IPルーターいくつか購入していた。そこで、Segal は Karrenberg に助言すると共にシスコハードウェア勧めた。これによってヨーロッパでインターネット既存UUCPネットワーク上で広がり1989年CERNTCP/IP外部接続されることになった。それと同時にRIPE (Réseaux IP Européens) が結成された。RIPEIPネットワーク管理者グループで、定期的に会合開いて共同作業していた。1992年RIPEアムステルダムで協同組合として正式に登録されている。 ヨーロッパでインターネット広がり見せつつあったころ、オーストラリアでは X.25UUCPどの様々な技術使い国内の大学間やアメリカとの場当たり的ネットワーク形成しつつあった。国際電話X.25国際的専用線高価だったため、世界的なネットワークとの接続限定的だった。1989年オーストラリアの大学群が共同IPプロトコルへの移行推進しネットワーク基盤統合を行うこととした。同年、AARNet(英語版)を結成しオーストラリアでのIP専用ネットワーク基盤となったアジアでは1980年代後半インターネット浸透しはじめた日本では1984年UUCPネットワークであるJUNET構築し1989年NSFNET接続した1992年にはインターネット協会会合である INET'92神戸市開催している。シンガポール1990年TECHNET構築タイでは1992年チュラーロンコーン大学UUNETインターネット接続したのが最初である。

※この「CERN、ヨーロッパ、オセアニア、アジア」の解説は、「インターネットの歴史」の解説の一部です。
「CERN、ヨーロッパ、オセアニア、アジア」を含む「インターネットの歴史」の記事については、「インターネットの歴史」の概要を参照ください。

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