バッドフィンガーとは? わかりやすく解説

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バッドフィンガー

(Badfinger から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/16 20:36 UTC 版)

バッドフィンガー
左からジョーイ・モーランド、トム・エヴァンズピート・ハム、マイク・ギビンズ(1970年)
基本情報
別名
  • パンサーズ
  • アイヴィーズ
出身地 ウェールズ スウォンジー[1]
ジャンル
活動期間
レーベル
旧メンバー

バッドフィンガー英語: Badfinger)は、ウェールズスウォンジー出身のピート・ハムと、イングランドリヴァプール出身のトム・エヴァンズを中心として結成されたロックバンドである。

歴史

パンサーズおよびアイヴィーズ

バッドフィンガーの前身に相当するパンサーズ (The Panthers) は1961年に結成された。その後、彼らは名前をアイヴィーズ (The Iveys) に変えて活動中にマル・エヴァンズに認められ、1968年11月にアップル・レコード(以下、アップル)からデビュー・シングル「メイビー・トゥモロウ」を発表[3]。メンバーはハム(リード・ギター、ヴォーカル)、エヴァンズ(リズム・ギター、ヴォーカル)、ロン・グリフィス(ベース)、マイク・ギビンス(ドラムス)の4名だった。

「メイビー・トゥモロウ」は翌1969年オランダのヒット・チャートで15位を記録するものの[4]全英シングルチャート入りを逃し、全米でも67位止まりだった[3]。同年発表されたファースト・アルバム『メイビー・トゥモロウ』はイタリア西ドイツ日本でしか発売されず[3]、売り上げも芳しくなかった。アメリカおよびイギリスでの発売が見送られた理由は、当時アップルの新社長に就任したばかりのアラン・クレインが会社の財政状況を調査し終えるまでビートルズ以外の作品全ての発売を延期したためである。これにより同アルバムは上記3カ国以外での発売時期を逃して、1990年代に再発されるまでコレクターズ・アイテムとなっていた。

バッドフィンガー

アップル・レコード時代

1969年、アイヴィーズは再出発をはかるにあたり、ジ・アイヴィー・リーグ英語版との混同を避けるべく、改名されることとなった。ポール・マッカートニーは「The Cagneys」と「Home」[5]ジョン・レノンは「Prix」と「The Glass Onion」[6]ニール・アスピノールビートルズのナンバー「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の当初の名前である「バッドフィンガー・ブギ」に由来する「バッドフィンガー」を提案[7]。このうちアスピノールの案が採用された。

ファースト・アルバム『マジック・クリスチャン・ミュージック』のレコーディング中、1969年8月のセッションを最後にグリフィスがバンドを去り、残りのレコーディングではエヴァンズがベースを弾いた[8]。アルバム完成後には新しいギタリストにジョーイ・モーランドを迎えた[8]

ビートルズの弟分的存在として、1969年末にリンゴ・スター出演の映画『マジック・クリスチャン』のテーマ曲でポール・マッカートニーが作詞・作曲した「マジック・クリスチャンのテーマ」で再デビューを果たす。同曲は1970年にアメリカ盤シングルも発売され、Billboard Hot 100のTop10に入るヒットとなった。同年にリリースされたファースト・アルバム『マジック・クリスチャン・ミュージック』には英米で発売されなかったアイヴィーズの『メイビー・トゥモロウ』から7曲が収録された。

1970年にはセカンド・アルバム『ノー・ダイス』をリリース。「嵐の恋」がシングル・カットされ、Billboard Hot 100の8位にまで上昇する。同アルバムにはハリー・ニルソン(1972年)とマライア・キャリー(1994年)が取り上げて大ヒットさせた「ウィズアウト・ユー」のオリジナルが収録された。

彼らは1970年に最初のアメリカ・ツアーに備えて、当時ニューヨークで評判の良かったスタン・ポリーというマネージャーと契約を結んだ。しかしこの契約には彼らの承諾なしに、何より彼らにとって不利益となる支払協定が織り込まれていた。実際にはポリーは犯罪組織とつながりがあった。

彼らは人気の上昇にともないアップル関係の多くのセッションに参加。ジョージ・ハリスンの『オール・シングス・マスト・パス』(1970年)とリンゴ・スターのシングル「明日への願い」(1971年)にバック・ボーカルを提供。エヴァンズとモーランドはレノンの『イマジン』(1971年)に参加した。また全員が1971年8月にハリスンがラヴィ・シャンカルと共同で開催した『バングラデシュ難民救済コンサート』にバンドのメンバーとして出演した[注釈 1]

1971年には3枚目のアルバム『ストレート・アップ』をリリース。プロデュースはハリスンとトッド・ラングレン。同アルバムには代表曲「デイ・アフター・デイ」が収録され、彼らのアルバムで最も商業的に成功した[注釈 2]。しかしビートルズ解散後のアップルは財政的に非常に混沌としていて、社長のクレインはマネージャーのポリーが新たなレコード・レーベルを探しているのを知っており、当然ながら両者の関係は良くなかった。

1972年のイギリス・ツアーの途中、ギビンズが一時脱退。ドラムスにロブ・スタウィンスキ(Rob Stawinski)を迎え、イギリス・ツアーの残りとアメリカ・ツアーを行った。ツアー後、ギビンズが復帰。同年9月、4枚目にしてアップルでの最後のアルバムのセッションがアップルの地下スタジオで始まり、5つのレコーディングスタジオで9カ月に渡り続いた。その間、ポリーはワーナー・ブラザース(以下、ワーナー)との間で百万ドル以上に及ぶというレコーディング契約を交渉した。アップルはワーナーからのアルバムのリリースを合法的な処置で妨害した。またアップルは新作アルバムのジャケットにロバ(ass)に見立たバンドがワーナーとの巨額な契約という巨大な人参につられるという皮肉な絵を使用し、タイトルも『アス(原題:Ass)』とした。同アルバムはアメリカでは1973年にリリースされたが、イギリスではクオリティの問題や契約に関する混乱などの理由で遅れ、1974年5月にようやくリリースされている。結果的に『アス』はあまりプロモーションもされずじまいでセールスは伸び悩んだ。

ワーナー・ブラザース時代

ワーナーと結んだ契約では1974年に2枚のアルバムをリリースすることになっていたので、彼らは本国イギリスで1年に3枚のアルバムを制作することとなった。『アス』のセッションが終了した6週間後に、彼らはワーナーからの最初のアルバムのためにスタジオに入った。完成した『涙の旅路(原題:Badfinger)』からの「Love Is Easy」(イギリス)、「I Miss You」(アメリカ)のシングルはチャートに達しなかったが、彼らはアメリカ・ツアーを数回行ない、何とかファンのサポートを維持した。

彼らは最後のアメリカ・ツアーに続いてコロラド州にあるレコーディング・スタジオ『カリブ・ランチ[注釈 3]にて『素敵な君(原題:Wish You Were Here)』をレコーディングする[注釈 4]。同アルバムはローリング・ストーン誌などのアルバム・レビューでなかなか好意的な評価を得た。しかしバンド管理と金銭を中心とした内部の摩擦は2、3年間の間にバンド内で膨張し続けていく。モーランドの妻はポリーとの完全な契約破棄を進言するも他のメンバー、特にハムを説得するには至らなかった。

1974年10月のイギリス・ツアーのためのリハーサルが始まる直前、ハムは突然バンドを脱退する。一時「ギタリスト兼キーボード奏者」のボブ・ジャクソンが加入するが、ハムはツアーが始まる直前に復帰し、ジャクソンはフルタイムの「キーボード奏者」として残った。モーランドはツアーの後に、このような管理状況下での意見の不一致を理由に脱退した。

ハム、エヴァンズ、ジャクソン、ギビンズは、『素敵な君』が1974年11月にリリースされた直後に次のアルバムをレコーディングするために再び集まった。アルバム『Head First』は同年12月のアップル・スタジオにて2週間でレコーディングされたが、ワーナーの出版事業部はグループの管理会社であるバッドフィンガー・エンタープライズInc.とポリーに対して訴訟を準備していたため、完成したレコーディングのテープの受け入れを拒否したので、同アルバムは未発表になった。同月、同出版事業部はバッドフィンガー・エンタープライズInc.に対する訴訟に着手した[注釈 5]。問題はポリーがアメリカで管理していた10万ドルの消滅であった。 ワーナーがその存在に関して尋ねるも、ポリーは回答を拒否。これによりワーナーによるバッドフィンガーのレコードの発売が一切止められ、1975年前半にはレコード店の棚から全て引き上げられる。

ポリーとの契約では、バッドフィンガー・エンタープライズInc.に対するロイヤリティは全て彼が支配する会社に入ることになっていた。メンバーの給料はその会社から支払われていたが、それらは収益に対し酷く不充分なものであった。ポリーはワーナーから訴訟を起こされた直後に、メンバーへの給料の支払いを中止した。このことは極貧の財政状況であったハムをさらに苦しめた。1975年4月24日、彼は絶望のあまり「スタンを道連れにする」という意味深な遺書を書いて、身重のガールフレンドを残して自宅のガレージで首吊り自殺を遂げた。娘が誕生したのは一ヶ月後だった。

ハムの死により、バッドフィンガーは終焉を迎えた。翌1976年1月5日、かつてアイヴィーズをアップル・レコードと契約させるために奔走したマル・エヴァンスが警官に撃たれ死亡した[9][注釈 6]

再結成

1978年、モーランドとジョー・タンシンの行っていたセッションにエヴァンズが参加したのをきっかけに、バッドフィンガーが3年ぶりに再結成された。彼らはエレクトラ・レコードと契約を結び、ニッキー・ホプキンスらセッション・ミュージシャンの参加の下で『エアウェイヴス(原題:Airwaves)』(1979年)をレコーディングした。終了後にタンシンが脱退。その後、ドラムスにピーター・クラーク(元スティーラーズ・ホイール)、キーボードにトニー・ケイ(元イエスフラッシュバジャーディテクティヴ)、セカンド・ギタリストにボブ・シェルをツアー・メンバーに加えて、アルバムのプロモーションとツアーを行った。しかし以前の人気は戻らず、エレクトラ・レコードとの契約もこの1枚で終わってしまった。

エヴァンズとモーランドはケイを正式メンバーに昇格させ、レディオ・レコードと契約してアルバム『セイ・ノー・モア(原題:Say No More)』(1981年)を発表。しかし両名は間もなく互いに袂を分かつこととなった。そしてそれぞれが独自にバッドフィンガーを名乗ったので、2つのバッドフィンガーが存在することとなった。

やがてエヴァンズとモーランドは「ウィズアウト・ユー」の利権を巡り対立して訴訟へともつれ込んだ。1983年11月19日、法廷闘争に疲れ果てたエヴァンズは自宅の庭の木で首吊り自殺を遂げ、バッドフィンガーの歴史には完全に終止符が打たれた。

その後

2000年、1974年に録音されたままになっていた未発表アルバム『Head First』が発表された[10][注釈 7]

2005年10月4日、ギビンズが就寝中のクモ膜下出血により死去。

モーランドは数枚のソロ・アルバムや「ジョーイ・モーランズ・バッドフィンガー(Joey Molland's Badfinger)」のライブを発表するなど、精力的に活動を続けていたが、2024年12月頃より体調を崩し、2025年3月1日に亡くなった[11]。彼を最後に、全盛期のメンバー全員が他界した。

メンバー

一般的にハム、エヴァンズ、ギビンズ、モーランドの4名がバッドフィンガー、ハム、エヴァンズ、ギビンズ、グリフィスの4名がアイヴィーズと称されることが多い。

全盛期のメンバー

その他の主な歴代メンバー

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 『メイビー・トゥモロウ』 - Maybe Tomorrow (1969年) ※アイビーズ名義
  • マジック・クリスチャン・ミュージック』 - Magic Christian Music (1970年) ※全米55位
  • ノー・ダイス』 - No Dice (1970年) ※全米28位
  • ストレート・アップ』 - Straight Up (1971年) ※全米31位
  • 『アス』 - Ass (1973年) ※全米122位
  • 『涙の旅路』 - Badfinger (1974年) ※全米131位
  • 『素敵な君』 - Wish You Were Here (1974年) ※全米148位
  • 『エアウェイヴス』 - Airwaves (1979年) ※全米125位。旧邦題『ガラスの恋人』
  • 『セイ・ノー・モア』 Say No More (1981年) ※全米155位
  • 『ヘッド・ファースト』 - Head First (2000年) ※1974年録音

ライブ・アルバム

  • 『デイ・アフター・デイ・ライブ '74』 - Day After Day: Live (1990年)
  • 『BBC イン・コンサート』 - BBC in Concert 1972–1973 (1997年)
  • Live 83 – DBA-BFR (2002年)

コンピレーション・アルバム

  • Shine On (1989年) ※イギリスのみ
  • The Best of Badfinger, Vol. 2 (1990年)
  • 『ベスト・オブ・バッドフィンガー』 - Come and Get It: The Best of Badfinger (1995年)
  • 『ヴェリー・ベスト・オブ・バッドフィンガー』 - The Very Best of Badfinger (2000年)
  • Apple Records Extra: Badfinger (2010年)
  • 『永遠のバッドフィンガー - オールタイム・ベスト・アルバム』 - Timeless...The Musical Legacy (2013年)

シングル

  • 「メイビー・トゥモロウ」 - "Maybe Tomorrow" (1969年) ※アイビーズ名義。日本ではバッドフィンガー名義で「明日を求めて」の邦題で再発あり。全米67位
  • 「いとしのアンジー」 - "Dear Angie" (1969年) ※アイビーズ名義
  • マジック・クリスチャンのテーマ」 - "Come and Get It" (1969年) ※全米7位
  • 「嵐の恋」 - "No Matter What" (1970年) ※全米8位
  • 「デイ・アフター・デイ」 - "Day After Day" (1971年) ※全米4位
  • 「ベイビー・ブルー」 - "Baby Blue" (1972年) ※全米14位
  • 「明日の風」 - "Cally On Till Tomorrow" (1972年) ※日本のみ
  • 「なつかしのアップル」 - "Apple of My Eye" (1973年) ※全米102位
  • "Love Is Easy" (1974年)
  • 「涙の旅路」 - "I Miss You" (1974年)
  • 「誰も知らない」 - "Know One Knows" (1975年)
  • 「美しき愛のゆくえ」 - "Lost Inside Your Love" (1979年)
  • 「ガラスの恋人」 - "Love Is Gonna Come at Last" (1979年) ※全米69位
  • 「ホールド・オン」 - "Hold On" (1981年) ※全米56位
  • "I Got You" (1981年)
  • "Because I Love You" (1981年)

脚注

注釈

  1. ^ ハムはハリスンの「ヒア・カムズ・ザ・サン」のアコースティック・ギターによる弾き語りにも参加した。
  2. ^ 後に米誌Goldmineは廃盤アルバムの読者投票で最も人気の高かったアルバムとしてCDでのリリースを促した。
  3. ^ シカゴのプロデューサーとして知られるジェイムズ・ウィリアム・ガルシオが設立した。
  4. ^ プロデューサーは前々作『アス』と前作『涙の旅路』に続いてクリス・トーマス。当時サディスティック・ミカ・バンドに在籍していた加藤ミカが収録曲の'Know One Knows'(「誰も知らない」)で日本語を担当した。
  5. ^ 1979年のカリフォルニア法廷まで継続した。
  6. ^ TOCP-70887解説では死亡したのは1月4日とあるが、日/英ウィキペディアでは1月5日とあるためそれに準じた。
  7. ^ 当時の制作メンバーの一人だったジャクソンは、1974年12月15日にエンジニアのフィル・マクドナルドによって終了したラフミックスコピーを保有していた。本CDはこのテープを土台に制作された。

出典

  1. ^ a b Dolgins, Adam (2019). The Big Book of Rock & Roll Names. Abrams Image. p. 32. ASIN B07H1HRPT1. https://books.google.co.jp/books?id=w31sDwAAQBAJ&pg=PT32&dq=Swansea,+Wales+The+Iveys+1961&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwib_L7y5dntAhUBUd4KHYHGC3cQ6AEwAHoECAYQAg#v=onepage&q=Swansea%2C%20Wales%20The%20Iveys%201961&f=false 
  2. ^ a b c Eder, Bruce. Badfinger | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月19日閲覧。
  3. ^ a b c The Iveys | Biography | AllMusic - Artist Biography by Bruce Eder
  4. ^ The Iveys - Maybe Tomorrow - dutchcharts.nl
  5. ^ Matovina, Dan (2000). Without You: The Tragic Story of "Badfinger". Frances Glover Books. p. 67. ISBN 978-0-9657122-2-4 
  6. ^ The Iveys”. Badfinger 2011. 2011年4月21日閲覧。
  7. ^ Jones, David (2001). The Beatles and Wales: The Long and Winding Road. St. David's Press. p. 98. ISBN 978-1-902719-09-2 
  8. ^ a b 2005年再発CD(TOCP-67562)ライナーノーツ(藤本国彦、2005年1月)
  9. ^ TOCP-70887解説7 ページ(斉藤早苗/葉山真)
  10. ^ Badfinger – Head First” (英語). www.discogs.com. 2026年3月16日閲覧。
  11. ^ バッドフィンガーのジョーイ・モーランドが逝去。享年77歳” (2025年3月3日). 2025年3月4日閲覧。

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