ピートの死後
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ピートの自殺から3年後の1978年、ジョーイとジョー・タンシンの行っていたセッションにトムを迎えて、バッドフィンガーが再結成され、エレクトラ・レコードと契約。ニッキー・ホプキンスらセッションミュージシャンのサポートの下、『エアウェイヴス(原題:Airwaves)』のレコーディングが行われる。 レコーディング終了後にジョーが脱退。その後、ドラムスにピーター・クラーク(元スティーラーズ・ホイール)、キーボードにトニー・ケイ(元イエス、フラッシュ、バジャー 、ディテクティヴ)、セカンド・ギタリストにボブ・シェルをツアーメンバーに加えて、アルバムのプロモーションとツアーを行った。これ程の注力にも関わらず以前の人気は戻らないまま、エレクトラ・レコードとの契約もこの1枚で終わってしまった。 しかしながら、トムとジョーイはトニーを正式メンバーに昇格させ、レディオ・レコードと契約し、『セイ・ノー・モア(原題:Say No More)』をレコーディングし発表。発表後間もなく、トムとジョーイは互いに袂を分かつこととなった。そして、彼らはそれぞれバッドフィンガーを名乗り、2つのバッドフィンガーが存在することとなった。 やがて「ウィズアウト・ユー」の利権を巡りトムとジョーイが対立し、訴訟へ。そして、1983年11月19日、訴訟に疲れ果てたトムは自宅の庭の木で首吊り自殺を遂げ、バッドフィンガーの歴史に完全に終止符が打たれた。 その後は、マイクも2005年10月4日、就寝中のクモ膜下出血により他界。現在も存命のジョーイは「ジョーイ・モーランズ・バッドフィンガー(Joey Molland's Badfinger)」として活動を続けている。
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