バッドフィンガーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 10:07 UTC 版)
「ピート・ハム」の記事における「バッドフィンガーとして」の解説
シングル「マジック・クリスチャンのテーマ」(ポール・マッカートニー作曲)の発売に合わせて、バンドはアイヴィーズからバッドフィンガーに改名した。このシングルは世界中でトップテン入りするヒット曲になったが、当初ハムは、アイヴィーズ時代の楽曲に自信を持っていたため、オリジナル曲以外で売り出されることに抵抗している。だが、ヒットしそうなシングル曲による飛躍のための効果というものを間もなく認識した。ハム本人の創作の苦労は結局のところ報いられ、「嵐の恋」が1970年後半にリリースされると、世界中でトップテン入りの快作となった。さらに「デイ・アフター・デイ」や「ベイビー・ブルー」を書き上げ、世界中でヒットを連発した。しかしながらハムの創作力は、「ウィズアウト・ユー」の合作において頂点を極めた。「ウィズアウト・ユー」は、ニルソンのカバーが世界中のチャートで1位を獲得してからは、史上最高のバラードの定番の一つとして、ジャンルを問わずに多数の歌手によってカバーされている。1973年には、グラミー賞にノミネートされるとともに、アイヴァー・ノヴェロ賞を受賞した。 1972年、片やアップル・レコードが崩壊の危機にあり、片やピート・ハムのバンドが破竹の勢いに見えたことから、バッドフィンガーはワーナー・ブラザース・レコードに引き抜かれた。 バッドフィンガーがアップルと契約期間中は、元ビートルズのジョージ・ハリスンのアルバム『オール・シングス・マスト・パス』やリンゴ・スターのシングル「明日への願い」のセッションでハムも演奏に加わっているが、その他のセッションでもハムの名前は記載されなかった。 ハムの人間性はおおむね、物腰が柔らかくて気だてが優しく、人前では少しおどけたところもあったが極めて温厚で謙虚だったと評されている。また、勤勉さにも言及されている。
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