BRTによる仮復旧案(第一次)
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「山田線」の記事における「BRTによる仮復旧案(第一次)」の解説
2011年3月11日に発生した東日本大震災により、宮古 - 釜石間 (55.4km) では、21.7kmが浸水、13駅中4駅や線路の1割、鉄橋など6か所、盛土10か所が破壊された。この区間の復旧について、JR東日本は、2012年6月25日の公共交通確保会議(沿線4市町や岩手県などで構成。震災で被災したJR山田線の鉄道復旧までの公共交通確保策について協議する)において、本復旧は安全の確保、まちづくりとの整合性など、各地で課題が多く、資金調整も含め相当時間がかかるとし、気仙沼線、大船渡線と同様に山田線についても、BRTにより仮復旧する案を正式提案した。(BRT(バスによる高速輸送)は一般車両の立ち入れないバス専用道路にて運行することにより鉄道並みの定時性を確保するとともに停車駅や運行本数を増やすことができる。また鉄道よりはるかに低コストで運行できる。)鉄道用地を舗装して専用道にする、費用はJR東日本が負担する、ただし山田線は被災した鉄橋が多いため、鉄路が山側に迂回している部分などは並行して走る国道45号を使い、専用道は約10kmほどとする、JR東日本が運行主体になり、車両もJRが購入する、運賃は鉄道と同程度とし、増便や駅の増設も進める、というものである。 この山田線BRT構想に対して、沿線4市町は、 専用道の割合が低く、現状のバスと定時性やスピードは変わらない 震災前からの民間のバスと競合する(「宮古─釜石間は路線バスが1日11往復走っている。BRTにかけるおカネも時間ももったいない」(宮古市役所)) そもそもまちづくりは鉄路復旧を前提としている などを理由に拒否、7月9日にJR東日本に通告し、同時に鉄道での復旧を求めたため、山田線BRT化の話はいったん消えることとなった。
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BRTによる仮復旧案(第二次)
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「山田線」の記事における「BRTによる仮復旧案(第二次)」の解説
2013年9月25日に盛岡市で開かれた第6回山田線復興調整会議において、JR東日本は山田線にBRTを導入することを再提案。従前のBRT案では専用道区間が短いという批判に対し、再提案では津波で流出した宮古市の閉伊川橋、山田町の第一織笠川橋、大槌町の大槌川橋、小槌川橋の4橋を復旧させるなどし、専用道の総延長を従来提案より約16km増やした25.3km(宮古 - 釜石間の46%)とすることで、鉄道では約70分の宮古 - 釜石間をBRTで最短で約80分とする(代替バスの約100分に比べかなり鉄道レベルに近づく)。しかし、この案に対して、地元4市町は再び拒否した。
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