738年の日本とは? わかりやすく解説

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738年の日本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 17:27 UTC 版)

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738年の日本では、738年日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。

他の紀年法

国家機関

元正上皇
 
 
聖武天皇
 
 
皇太子
阿倍内親王(2/6立太子)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
知太政官事
鈴鹿王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
左大臣
欠員
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
右大臣
橘諸兄(2/6-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大納言
橘諸兄(-2/6)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
中納言
多治比廣成
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
参議
大伴道足
藤原豊成

政治社会

史上初の女性皇族の皇太子として、阿倍内親王(聖武天皇の皇女、のちの孝謙天皇)が立太子された。当時の皇室の嫡流(天武天皇持統天皇の系統)の男子には安積親王がいたが、親王は生母が傍流の県犬養氏であったため、光明皇后藤原氏)嫡出の内親王がこれに優先して皇太子となった。

  • 1月21日 - 「大倭国」を改字して「大養徳国」とした[1]
  • 2月6日 - 阿倍内親王立太子[2]
    • 立太子に合わせて、天下に大赦を行った[2]

自然天文

  • 10月18日 - 日食があった[3]
  • 10月23日 - 地震があった[4]

文化芸術

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ 『続日本紀』天平9年12月27日条
  2. ^ a b 『続日本紀』天平10年正月13日条
  3. ^ 『続日本紀』天平10年9月1日条
  4. ^ 『続日本紀』天平10年9月6日条

参考文献

関連項目




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