6・10万歳運動と新幹会・槿友会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:30 UTC 版)
「朝鮮独立運動」の記事における「6・10万歳運動と新幹会・槿友会」の解説
「新幹会」も参照 1920年代には学生運動、思想運動を通じた抗日運動が絶え間なく展開されたが、この時期はロシア帝国で起きた十月革命の影響により、社会主義思想が朝鮮においても蔓延するようになり、ソウル青年会・新思想研究会・北風会など社会主義思想団体が多く結成された。社会主義者達は労動運動や農民運動など民衆達の階級闘争を指導する一方、民衆の利益を代弁する階級政党建設に尽力し、1924年には前述した朝鮮労農総同盟と朝鮮青年総同盟が発足し、同年4月には地下組織としての朝鮮共産党を結成することによって、社会主義運動は更に活発に展開されることとなった。 1924年に中国で第一次国共合作が成立すると、朝鮮人の間にも民族主義者と社会主義者の間で協調する雰囲気が生まれ、1926年に朝鮮半島で6・10万歳運動が起きた。この結果、朝鮮総督府警察の摘発で朝鮮共産党が壊滅状態に陥るものの、新幹会や槿友会等の結成に影響を与えた。 新幹会は、民族主義系列が自治運動を主張する対日妥協的民族改良主義者と非妥協的民族主義者とに分化されたのを受け、非妥協的民族主義者と社会主義者達が結託して1927年2月にを結成した。新幹会の結成後、各地方で新幹会の支会が相次いで結成され、1928年末には全部で143の支会が組職され、会員数は 2万人にまで達した。新幹会本部と各支会は、当時活発に起っていた様々な階級闘争を主導ないし支援した。 特に、1929年11月に光州で朝鮮人学生のグループと日本人学生のグループの間で衝突事件(光州学生事件)が起きた際は、真相調査団を派遣して京城で大規模な民衆大会を準備し、半島全土で抗日運動を起こすことを目論んだ。光州学生事件が三・一運動以降最大の抗日運動となったのを受け、総督府は新幹会の主要幹部約40名の逮捕に踏み切った。これにより新幹会は衰退し、1931年5月に解散することとなった。 また、槿友会(朝鮮語版)は、女性運動団体として1927年5月に創設され、新幹会の姉妹団体的性格を有していた。槿友会は、啓蒙を主張するキリスト教系と、階級闘争を主張する社会主義系の対立があった。
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