4号以降の計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 10:01 UTC 版)
スカイラブは1974年2月に4号の飛行が終了したのち放棄されたが、いつでも飛行士を受け入れられるよう必要物資はそのままに置かれ、ハッチは閉鎖されなかった。NASAは耐用年数を考慮し、これ以上ラブを利用することについて一切検討することを避けていた:335,361。一方で当時は1979年までにスペースシャトルが運用可能になると依然として信じられていたため、政府は1977年と1978年にスカイラブの再利用について二つの研究を実施した:3-1。1978年9月までは、当局は主要な機器は依然として運用可能であり、安全に飛行士を受け入れることができると考えていた:3-2。そこにはまだ180日工数の水と420日工数の酸素があり、さらに飛行士が補充することもできた。また約600から700日工数の飲料水と420日工数までの食料を貯蔵することが可能だった:2–7。 研究ではスカイラブを再利用することの利点がいくつか挙げられており、ある者はその「長期間の宇宙飛行のための独特な住環境の提供源」:3–11ゆえに「数億ドル」に値する資源と呼んだ:1–13。アポロ計画の終了以降、運用可能なサターン5はもはや入手できなくなったため、その350立方メートルという規模に匹敵するステーションをもう1機建設するためにはシャトルを4機から5機飛ばし、大がかりな宇宙建設を行うことが必要とされた:1-12 to 1-13。スカイラブのサイズはシャトルとスペースラブ:2–8を合わせたものよりもはるかに大きく、いくらか手を施しただけで男女:3–147名までの飛行士:2–31を受け入れ、長期間の宇宙飛行に必要な実験:1–13を行うことが十分可能になり、さらにはレクリエーションのための映画鑑賞用装置を持ち込むことさえできたのである:3–11。 スカイラブ再利用を主張する者たちはまた、ラブを修理し改良することは将来的なステーション建設の際、長期間宇宙環境にさらされることの結果についての情報を提供することになると主張した。再起動させる上での最も深刻な問題は、正しい軌道に復帰させることだった。ジャイロスコープの一つはすでに故障しており:361、姿勢制御装置は燃料を補給する必要があった。それらの問題は、機材を修理したり置きかえたりするためにはEVAが必要とされたが、スカイラブは大がかりな再補給ができるようには設計されていなかった。一方で元々乗組員は予定では限られたメンテナンスだけをすることになっていたものの:34、SL-2では太陽電池板を展開させたり:73–75、SL-4では主冷却パイプを修理するなど、EVAで大がかりな修理をすることに成功していた:317:130:3–21。SL-2の飛行士などはEVAの際、ある装置を彼らの言うところによれば「ハンマーでぶん殴って (hit[ting] it with [a] hammer)」修理をしていた:89。 研究の中にはまた、宇宙建設やメンテナンスの経験を得る機会ということ以上に、スカイラブを再起動させることでスペースシャトルの飛行を他の目的のために解放することが可能になり:1–13、またシャトルを長期飛行用に改造する必要もなくなると主張するものもあった:2-9 to 2-10。また仮にラブが再び有人になることがなかったとしても、ある主張によれば、それは有益な実験基地として機能するとされた:2–61。
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