21世紀の党勢・野党時代から政権獲得へ・キャメロン政権
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「保守党 (イギリス)」の記事における「21世紀の党勢・野党時代から政権獲得へ・キャメロン政権」の解説
「ニューレイバー」を標榜する労働党のトニー・ブレア政権(1997年-2007年)下で中流階級の支持は労働党や自由民主党へ流れ、支持層がイングランドの富裕層に偏るなど党勢の衰退が指摘され、2005年イギリス総選挙ではスコットランドで1議席しか獲得できず、一時は報道機関に「保守党は死んだ」とまで書かれるほど深刻な状況に陥った。 しかし、総選挙の敗北を受けて行われた党首選挙(英語版)で39歳のデービッド・キャメロンを選出したことで、徐々に党勢の立て直しに成功した。複数の世論調査の支持率で労働党を逆転した。2006年に行われたイギリスの統一地方選挙では1992年以来最高となる316議席を獲得した。2007年に誕生した労働党のゴードン・ブラウン政権の支持率が低迷する中、翌年3月の支持率調査では20年来で最高水準となる16パーセントの差をつけてリードした。同年秋の金融危機では政権批判を強めたが、既存の金融エリートと保守党との深い繋がりから支持率が伸び悩むなど、旧来の支持層との関係において依然として困難な課題を抱えていることを露呈した。世界金融危機後は政策の保守色を薄めて中道化し、2009年に入って支持率に労働党と再び2桁の差をつけるなど、政権奪還に向けて攻勢を強めた。 2010年イギリス総選挙では一時は自由民主党が世論調査でトップに躍り出たが、終盤になって保守党は優位を固めた。選挙の結果保守党は13年ぶりに第1党を奪回したが、単独過半数には届かなかった。このため議会は単独過半数を制する第一党が存在しないハング・パーラメント状態となり、第3党の自由民主党との連立政権樹立で合意した。同年5月11日に第1次キャメロン内閣が成立し、デーヴィッド・キャメロン政権が発足した。そしてキャメロン政権は財政健全化のために緊縮財政・増税・福祉・公共サービスの削減に取り組んだ。しかし景気は一向に上向かず、若年層を中心に不満が爆発した。国内で暴動が頻発し、警官隊と市民が衝突する異常事態となった。2012年5月に迎えた統一地方選挙では、連立を組む自由民主党と合わせて700議席以上を減らして惨敗し、対する労働党は800議席以上を増やして圧勝した。 2015年イギリス総選挙前の世論調査では概ね労働党と支持率が並んでいたものの、実際の得票率では6.5ポイントの差を付けて単独過半数を制した。この結果自由民主党との連立を解消し、保守党単独政権となった。
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