2010年地方選挙敗北
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その後、李会昌総裁の党運営に対して不満を抱いた元忠清南道知事で同地域に強い政治基盤を有している沈大平代表が2009年8月に離党を表明、創造韓国党と国会内で構成していた院内交渉団体「自由と先進の集い」が交渉団体資格を喪失する事態となった。そして翌2010年6月2日に行なわれた全国同時地方選挙で先進党が敗北した責任をとる形で党代表の座を辞任することを8日に表明したが、「世宗市建設計画の国会採決が控えているなかで、これ以上代表職を空席にしておくわけにはいかない」として17日に党務に復帰した。 2011年5月9日、国会で行われた党最高委員会議で「党の変化のため」として代表を退く意向を表明した。また来年の総選挙に向け、2009年に先進党を離党した沈大平率いる国民中心連合と党合併に乗り出す意思も合わせて表明した。2011年11月21日には、総選挙への不出馬を表明し、選挙後の2012年5月20日、同月末に行われる全党大会で党名改称が行われる前に先進党を離党することを表明した。同年12月に行われる大統領選挙を目前にした11月24日、与党・セヌリ党(ハンナラ党が党名変更した政党)へ入党し、同党候補である朴槿恵支持を表明した。 2017年1月26日、セヌリ党を離党し、大統領選挙への出馬を表明していた正しい政党の劉承旼を支持することを宣言して正しい政党に入党した。
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2010年地方選挙敗北
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「自由韓国党」の記事における「2010年地方選挙敗北」の解説
李明博政権の中間評価となった2010年6月の地方選挙は当初、広域団体長選挙において8 - 9箇所で首位に立つなど、優位な戦いを進めていた。しかし、李明博政権の政権運営に対する反発と3月に発生した韓国海軍駆逐艦「天安号」の沈没事件を巡り、北朝鮮に対して強硬姿勢を取ったことに不安を戴いた20 - 40代の有権者を中心に民主党など野党勢力に支持が集中し、前回選挙の大幅に下回る結果となった。 16市道の自治団体長(市長・道知事)を選出する広域団体長選挙では、事前の世論調査の支持率では圧倒的に優位に立っていたソウル市長選挙で呉世勲候補が、民主党の韓明淑候補と激しいつばぜり合いを演じ、0.6%の僅差で辛うじて再選。またハンナラ党支持が強い地域であった江原道や慶尚南道で民主党と民主系無所属候補がハンナラ党候補を破って当選するなど8箇所で勝利した民主党を下回り、6箇所の当選に留まった。また基礎団体長選挙でも民主党が91箇所で勝利したのに対し、83箇所の当選に留まった。16市道の広域議会議員を選出する議会選挙でも地域区で民主党が第一党となった。 ハンナラ党が地方選挙で敗北した結果を受け、鄭夢準代表を初めとする党指導部は大勢が判明した3日午前に総辞職を表明し、党大会が開催されるまでは金武星院内代表を委員長とする非常対策委員会を構成して党運営にあたることを明らかにした。
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