2007年夕張市長選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 14:15 UTC 版)
「羽柴誠三秀吉」の記事における「2007年夕張市長選挙」の解説
2007年、自身のウェブサイトにて、東京都知事選挙への出馬を否定。夕張市長選挙に出馬した。この選挙では住民票を夕張市本町に移し事務所を構え、公約には大企業を5社誘致、閉鎖される市営温泉施設の私財を投じての再開(だが、当選した場合は公務員となり、私財の投入は認められていない)などを掲げ、自主投票となった一部の商工連盟や地元有力者の支援を受け、事前の世論調査でも高い支持率を示し、マスコミにも当選の可能性がある有力候補として扱われた。連合夕張などが推薦し、投票日直前に公明党が事実上の支持を決定した無所属の新人藤倉肇に敗れたとはいえ、得票差342票で次点まで迫り、これまでの選挙で最も善戦した(この際藤倉が獲得した票のうち1000票は公明票とされ、藤倉の選対幹部はこの票が無ければ負けていたと語っている)。また、2005年に行われた五所川原市長選に続き供託金没収を免れた。 選挙後、自らが経営する企業が夕張に進出し、行政サービスの受託事業などを展開している。また、同年12月にはかつて夕張市の中心産業であった石炭の採掘を復活させ、露天掘りを行ってその収益全額を市に寄付する構想を発表。夕張市本町の事務所に「夕張再建炭鉱建設株式会社」を設立。年明けに夕張市や北海道に採掘許可を申請すると表明した。
※この「2007年夕張市長選挙」の解説は、「羽柴誠三秀吉」の解説の一部です。
「2007年夕張市長選挙」を含む「羽柴誠三秀吉」の記事については、「羽柴誠三秀吉」の概要を参照ください。
- 2007年夕張市長選挙のページへのリンク