2007年大統領選ハンナラ党予備選
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「朴槿恵」の記事における「2007年大統領選ハンナラ党予備選」の解説
襲撃事件による同情票や盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の経済失政に対する批判と、さらに「整形発言」への反発もあって、2006年5月31日に行われた統一地方選挙ではハンナラ党を地滑り的勝利に導いた。この結果同じハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)に次ぐ2007年の韓国次期大統領選の有力候補としての地位を固めたが、2007年8月20日に、党大会で行われた大統領候補党内予備選挙で李明博に敗れた。翌年(2008年)4月の第18代総選挙において得票率88.6パーセントを集めて4度目の当選を果たしている。 2010年12月27日に政策研究のためのシンクタンクとなる国家未来研究院を発足させ、2012年に予定されている大統領選挙に向けて本格始動を開始した。2011年4月27日の再補選でハンナラ党が敗北して安商守(アン・サンス)党代表が辞任したことを受けて行われる党内選挙への出馬が囁かれていたが、5月20日に選挙への不出馬を表明した。同年4月28日に大統領特使として欧州3カ国(オランダ・ポルトガル・ギリシャ)を歴訪している。
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