2006年大統領選挙での敗北
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「オジャンタ・ウマラ」の記事における「2006年大統領選挙での敗北」の解説
ウマラは貧困解消と雇用創出を最大の公約に掲げ、選挙活動を開始。出馬当初は無名に近く支持率が伸び悩んだが、2006年の大統領選挙でアルベルト・フジモリ元大統領の立候補が正式に却下されると、元大統領の支持基盤だった貧困層の票の受け皿のひとつとなり、急速に支持を伸ばした。 またウマラは「エネルギーはペルーの財産であり、国家が経営に参画し、その利益は国民に還元すべきだ」として原油や天然ガス、港湾部門に対する国有化も視野に入れた国家の管理を強化する意向を表明した。さらに天然ガスや銅、亜鉛などの鉱山開発にかかわる外資系企業へ過去にさかのぼって課税するほか、採掘権料を徴収して歳入を増やし、貧困解消のための再分配の原資とする公約を掲げている。こうした急進左派的かつ資源ナショナリズム的な政策は、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領やボリビアのエボ・モラレス大統領ら南米の反米左派指導者の影響や類似性がある点がマスメディアなどによって選挙期間中に繰り返し指摘されることとなった。 2006年1月3日モラレスがボリビア大統領選挙で勝利したことを祝う会合がチャベス大統領の主催でベネズエラで開かれた。この会合にウマラも招かれ、その席でチャベス大統領自らペルー大統領選挙でのウマラ支持を公言したことが問題となり、翌日ペルー外務省がベネズエラ大使を召還。「内政干渉である」として強く抗議する騒動となった。 2006年4月9日の大統領選挙第一回投票で、ウマラは375万7735票(30.62%)を獲得して第1位となった。第2位は元大統領で中道左派のアラン・ガルシアで、298万4881票(24.32%)を獲得。続いて保守系右派の元国会議員 ルルデス・フローレスが292万0578票(23.80%)を獲得して第3位。フジモリ派の元国会議長マルタ・チャベスは第4位(7.43%)であった。 なお、同日行われた総選挙でウマラ率いる会派は議会最大勢力となる45議席を得ている。 ペルーの大統領選挙は第一回投票で過半数を得る候補がいない場合、上位2名による決選投票が行われる。第一回投票でウマラは1位となったものの、ベネズエラのチャベス大統領の支持表明や急進左派的な政策に対し、経済界や保守層を中心に警戒感が広がり、決選投票を前に3位以下の候補者が軒並みガルシア支持に回ったため選挙戦後半ではウマラは苦戦を強いられた。 結果、同年6月4日に行われた決選投票では得票率が45.5%で、アラン・ガルシアの得票率55.5%に迫ったが敗北した。
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