2部リーグ開幕 1980年代
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「日本ハンドボールリーグ」の記事における「2部リーグ開幕 1980年代」の解説
1979-80年シーズンは男子が6チームに縮小。女子は1回総当たりへ変更された。この年から2部リーグ(アダルト・リーグ)が発足され、男子は前シーズン下位2チームの大崎電気と三景が加わったほか、自衛隊勝田、セントラル自動車、トヨタ車体、日鉄建材の計6チームが参加。女子は入れ替え戦で降格したムネカタのほか、東京重機工業と和歌山県商工信用組合の3チームが参加した。シーズン終了後の入れ替え戦では、男子は1部5位の大阪イーグルス、6位の三陽商会がそれぞれ残留を決めた。女子は1部7位の北國銀行が残留。1部8位の大和銀行が2部へ降格し、2部1位の東京重機が3年ぶりの昇格を果たした。 1980-81年シーズンは男女ともに1回総当たりへ変更。女子1部の日本ビクターはリーグ初となる女性監督に池田二三恵氏が就任した。シーズン終了後の入れ替え戦では、男子は1部5位の大阪イーグルス、同6位の三陽商会が前年に引き続き残留。女子は1部7位の北國銀行が残留を決めたが、同8位の東京重機の降格が決まり、2部1位のムネカタが1部へ昇格した。1981年4月の役員改選で安藤純光委員長の留任が決定。 1981-82年シーズンから男子2回総当たり、女子1回総当たりへ変更。2部リーグに中村荷役運輸と大阪ガスが加盟した。1982年1月には初のオールスターゲームとなる「第1回日本リーグオールスターゲーム・男女東西対抗戦」が行われた。入れ替え戦では男子6位の三陽商会が2部へ降格し、2部1位の大崎電気が4年ぶりに1部へ復帰。女子は1部8位のムネカタが2部へ降格し、2部1位の大和銀行が1部へ昇格した。また、男子2部の自衛隊勝田が「チームの補強ができず、日本リーグで戦うチーム力がない」との理由で、このシーズン限りで離脱。 1982-83年シーズンは女子1部の立石電機にリーグ初の欧州出身選手となる、ユーゴスラビアのカティツア・イレシュとドルベェニャク・ベリツアが加入。入れ替え戦では男子1部の大阪イーグルスが2部へ降格、2部1位の三陽商会が1部復帰を果たした。このシーズン限りで男子2部のセントラル自動車がリーグを脱退した。 1983-84年シーズンは男子2部にトヨタ自動車と本田技研熊本が加入。シーズン終了後に女子1部の8位・北國銀行が2部へ降格し、2部1位の東京重機が1部へ昇格した。 1985-86年シーズンは男女ともに2回総当たりへ変更。女子は6チームへ縮小され、前シーズンの1部下位2チームである東京重機とブラザー工業が2部へ降格した。女子2部にはシャトレーゼ、ソニー国分が参入。開幕当日の深夜に大同特殊鋼の選手2名が暴行事件によって逮捕されたため、大同特殊鋼がリーグ途中の2日目で棄権。シーズン終了後に大同特殊鋼の2部降格が決まり、2部1位の三景が1部への自動昇格が決まった。 1986-87年シーズン終了後の入れ替え戦で男子1部5位の三陽商会、同6位の三景が2部へ降格。2部1位の大同特殊鋼と同2位のトヨタ自動車が1部へ昇格した。 1987-88年シーズンはソウルオリンピックのアジア予選が開催されたため、日程が大幅に変更された。前期リーグが中止となり、1987年9月に代替大会として1部・2部混成の第1回JHLカップが開催。リーグ戦は1988年1月に開幕され、男女1回総当たりへ変更された。同シーズンは男子2部に豊田自動織機が新たに加入。シーズン終了後の入れ替え戦では、男子1部5位の大同特殊鋼が残留を決めたが、同6位のトヨタ自動車が2部へ降格、2部1位の三陽商会が2年ぶりの1部復帰を決めた。女子は1部5位の日立栃木が残留。同6位のジャスコが2部へ降格し、2部1位のシャトレーゼが1部へ昇格した。 1988-89年シーズンは2回総当たりで運営された。入れ替え戦では女子6位の日立栃木が2部へ降格し、2部1位のジャスコが1部復帰を果たした。同シーズン限りで男子2部7位の大阪ガスと8位の日鉄建材がリーグを離脱。 1989-90年シーズンから男子2部に日本電装と竹芝精巧が加入。入れ替え戦では女子1部5位のジャスコが2部へ降格。2部2位の北國銀行が7年ぶりに1部へ昇格した。
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