2日目: 北軍の進行と南軍の降伏
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「ロアノーク島の戦い」の記事における「2日目: 北軍の進行と南軍の降伏」の解説
2月8日の朝、北軍は素早く行動し、島で唯一の道路を北上した。先導隊は第1旅団の第25マサチューセッツ連隊であり士官候補生ポーターの榴弾砲が直ぐ後に続いた。この部隊は間もなく、南軍の方形堡と約400名の歩兵がその道筋を塞いでいるところに来て止まった、ほかに約250ヤード (230 m) 後方に1,000名の予備隊が居た。前線は大変狭くなっていたので、ショー大佐は部隊の4分の1しか配置できなかった。防衛線は両側面を通過不能と考えられる湿地で終わっていたので、ショーは側面を守らなかった。 第1旅団の先導隊は敵の隊形に合わせて横に広がった。硝煙の雲が視界を悪くする中、両軍は2時間銃火を交えた。第10コネチカット連隊が、疲れてきてはいたがひどく損失も無かった第25マサチューセッツ連隊と交代したが、この部隊も前進できなかった。第2旅団が到着するまで進展は無く、第2旅団長のリノ准将が北軍右翼にある「通過不可能」な湿地を通過してみるよう命令した。フォスター准将が続いて予備の2個連隊に右翼で同じことをするよう命令した。この頃、パーク准将が第3旅団を率いて到着し即座に支援部隊を送った。それらの部隊の協調は取れていなかったが、2つの側面移動部隊がほぼ同時に湿地から出現した。リノは第21マサチューセッツ連隊、第51ニューヨーク連隊および第9ニュージャージー連隊に攻撃を命令した。これらの部隊が南軍に発砲している時に第1旅団の第23マサチューセッツ連隊が前線の他の端から現れた。防御線は崩壊し始めた。これに気付いたフォスターが残っている部隊に攻撃を命じた。3方からの猛襲に合って南軍は崩壊し逃亡した。 ショー大佐は後詰を用意しておらず、大砲も奪われていたのでフォスターに降伏した。降伏した中には直接指揮していた1,400名だけでなく、砦の大砲も含まれた。他に2個大隊(第2ノースカロライナ連隊と第46バージニア連隊)が援軍として送られてきていた。これらの部隊は戦闘に参加するには遅すぎたが、降伏に加わるのに遅すぎることはなかった。全体で2,500名が戦争捕虜になった。 捕虜になった兵士を除けば、南北戦争の標準と比べて損失はかなり軽かった。北軍は戦死37名、負傷214名、不明13名となった。南軍は戦死23名、負傷58名、不明62名だった。
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