2日連続の不戦敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 09:53 UTC 版)
2005年5月場所7日目に行われた琴春日との取組で、五城楼が土俵際で突き落とされた際に右膝を痛めた。この一番に物言いが付き、協議の結果、五城楼の右膝が落ちるのと琴春日の左肘が付くのが同時とみて取り直しが宣告された。しかし五城楼は立ち上がれず、この一番で勝負審判長を務めていた押尾川親方(元大関・大麒麟)が五城楼の棄権の意思と琴春日の出場の意思を確認した上で、琴春日の不戦勝となった。膝を痛めた五城楼は、翌8日目も出場する予定として休場届をすぐに出さなかったために割が組まれたが、やはり痛みが引かず(後に靱帯断裂と判明)に出場せず、8日目における春ノ山戦も不戦敗扱いとなり、2日連続しての不戦敗となった。 2日連続の不戦敗は1989年9月場所で土俵下に控えていた際に三杉里の下敷きとなった富士乃真以来16年ぶりだが、このような事例では1948年秋場所における前田山(対力道山)以来57年ぶりのこととなった。本人は9日目を休場した後、10日目から再出場したが、全く相撲らしい相撲が取れず、見かねた師匠の間垣親方が12日目の取組後に休場届を提出し、13日目から再び休場した。この場所は3勝8敗4休(うち不戦敗2)であった。なお引退につながったこの怪我はマスコミにより「珍事」として扱われた。
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