2度の地区優勝とは? わかりやすく解説

2度の地区優勝(1982年、1986年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:03 UTC 版)

ロサンゼルス・エンゼルス」の記事における「2度の地区優勝(1982年1986年)」の解説

1982年ニューヨーク・ヤンキースからレジー・ジャクソン移籍前年15本塁打不調だったジャクソンだが、エンゼルス移籍する復活39本塁打放ち本塁打王輝いたまた、チームジャクソン活躍もあり、9369敗で2度目地区優勝を果たす。続くリーグチャンピオンシップシリーズではミルウォーキー・ブルワーズ対戦。第1戦、第2戦と勝利しリーグ優勝王手をかけたが、その後2連敗迎えた最終戦では7回まで3対2とリードしていたものの、7回裏に逆転許してしまい、結局3対4で敗れたその後1983年は5位、1984年1985年2年連続カンザスシティ・ロイヤルズに次ぐ2位終わった1984年9月30日マイク・ウィットMLB史上11人目完全試合達成している。 1986年ウォーリー・ジョイナーチャック・フィンリーメジャーデビュー。特にジョイナー打率.290・22本塁打100打点記録し新人王候補名を連ねた新人王33本塁打117打点記録したホセ・カンセコ)。この年にはウィット中心とした投手陣抜群安定感誇り9270敗で3度目地区優勝輝いたリーグチャンピオンシップシリーズではボストン・レッドソックス対戦先に3勝をあげてリーグ優勝王手をかけ、第5戦でもエンゼルスが8回まで5対2とリードし優勝目前思われた。しかし9回表に、ここまでレッドソックス打線抑えていた先発ウィットが、元エンゼルスベイラーに2ランホームランを打たれ、5対4と追いすがられる。代わったゲイリー・ルーカスがリッチ・ゲドマン死球与えて出塁。ここでたまらず抑えドニー・ムーア登板させるが、デーブ・ヘンダーソンを2ストライク追い込みながら、粘られた末に2ランホームランを打たれ、5対6と逆転された。結局、9回裏にエンゼルス1点返して延長戦突入するも、11回表にヘンダーソン決勝犠牲フライ放たれまさかの逆転負け喫した。これによって流れが完全にレッドソックス傾き、続く第6戦、第7戦と連敗またしてもリーグ優勝逃した(なお、ナショナルリーグニューヨーク・メッツ優勝したため、エンゼルス勝っていれば史上初の「エクスパンションチーム同士によるワールドシリーズ」になるところだった)。ムーア1988年エンゼルス解雇され、翌1989年拳銃自殺するという悲劇起こっている。

※この「2度の地区優勝(1982年、1986年)」の解説は、「ロサンゼルス・エンゼルス」の解説の一部です。
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