ウォーリー・ジョイナーとは? わかりやすく解説

ウォーリー・ジョイナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/31 07:31 UTC 版)

ウォーリー・ジョイナー
Wally Joyner
カリフォルニア・エンゼルス時代
(1987年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ジョージア州アトランタ
生年月日 (1962-06-16) 1962年6月16日(62歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1983年 ドラフト3巡目(全体67位)
初出場 1986年4月8日
最終出場 2001年6月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ウォレス・キース・ジョイナーWallace Keith Joyner1962年6月16日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身の元プロ野球選手一塁手)。ニックネームは「Wonder Wally」,「Wally World」。

経歴

現役時代

1983年のMLBドラフトカリフォルニア・エンゼルスから3巡目(全体67位)に指名を受け、自身の誕生日である6月16日に契約[1]

1984年AA級ウォーターベリーで打率.317・12本塁打出塁率.398を記録[2]プエルトリコウィンターリーグにおける1985-86シーズンで、54試合に出場して打率.356・14本塁打・48打点の好成績を挙げ、三冠を獲得。

1986年は開幕メジャー入りを果たし、4月8日シアトル・マリナーズとの開幕戦に「3番・一塁」で先発出場しデビュー[3]。翌4月9日の同カードでマーク・ラングストンからメジャー初本塁打を放つ[4]など強打を発揮してレギュラーに定着。ルックスの良さも手伝ってたちまちファンの人気者になった。24歳の誕生日だった6月16日のテキサス・レンジャーズ戦では、9回1死まで無安打に抑え込まれていたチャーリー・ハフから安打を放ってノーヒッターを阻止し、その後のサヨナラ勝利[5]に貢献するなど前半戦で打率.313・20本塁打・72打点[6]と抜群の成績を挙げ、ルーキーながらファン投票でオールスターゲームに選出された[7]。前夜に行われたホームランダービーではニューヨーク・メッツダリル・ストロベリーと同点優勝。8月20日デトロイト・タイガース戦では、9回2死からウォルト・テレルのノーヒッターを阻止する二塁打を放った[8]。後半戦は打率.257・2本塁打[6]と不調に陥ったが、シーズン通算で打率.290・22本塁打・100打点を記録し、チームの4年ぶりの西地区優勝に貢献。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.455[9]と活躍するが、第4戦以降は欠場。チームは3勝1敗と王手をかけた後の第5戦で悪夢の逆転負けを喫し、第6・7戦も連敗して3勝4敗で敗退、球団創設以来初のリーグ優勝を逃した。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では、33本塁打・117打点を記録したホセ・カンセコとの一騎打ちとなり、12ポイント差で惜しくも受賞を逃した[10]MVPの投票は8位[11]。オフの日米野球MLB選抜の一員としてカンセコらと共に来日した。

1987年5月20日トロント・ブルージェイズ戦でトム・ヘンキーからサヨナラ本塁打、10月3日クリーブランド・インディアンス戦で1試合3本塁打を放つ[4]など打率.285・いずれもキャリアハイの34本塁打・117打点・100得点長打率.528を記録し、MVPの投票で13位に入った[12]1988年はキャリアハイの176安打を放ったが、本塁打は13に減少した。1991年は自身初の打率3割となる.301・21本塁打・96打点を記録。10月28日フリーエージェントとなり、12月9日カンザスシティ・ロイヤルズと契約[1]

ストライキシーズンが打ち切られた1994年は打率.311、1995年は打率.310・キャリアハイの出塁率.394を記録。12月21日にビップ・ロバーツとマイナー1選手との交換トレードで、マイナー1選手と共にサンディエゴ・パドレスへ移籍[1]

1996年は開幕から5試合連続マルチヒットを記録するなど、4月は4割を超える打率をマーク[13]。その後は失速したが、チームは西地区優勝。自身10年ぶりのポストシーズンとなったセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズでは打率.111[9]に終わり、チームも3連敗で敗退した。1997年はキャリアハイの打率.327、1998年7月28日のメッツ戦で野茂英雄から本塁打を放った[4]。チームは2年ぶりの地区優勝を果たし、ポストシーズンも勝ち上がって14年ぶりのリーグ優勝。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは無安打[9]に終わり、チームも4連敗で敗退した。1999年は打率.248・5本塁打と不本意な成績で、12月22日ブレット・ブーンライアン・クレスコ他1選手との交換トレードで、レジー・サンダースキルビーオ・ベラスと共に故郷アトランタ・ブレーブスへ移籍[1]

2000年は前半戦で打率.198・1本塁打と不振だったものの、後半戦で打率.350[14]と復調し、チームも東地区優勝を果たした。カージナルスとのディビジョンシリーズでは3試合全て代打での出場[15]で、チームは3連敗で敗退した。10月30日にフリーエージェントとなり、2001年1月25日に古巣エンゼルスと契約[1]。同年は故障で離脱したモー・ボーンに代わって主に一塁で出場したが、打率.243・3本塁打と不振で誕生日の6月16日に解雇[1]され、そのまま現役を引退した。

引退後

2005年11月、現役時代の1998年に当時チームメイトだったケン・カミニティと共にステロイド剤を入手し、短期間ではあるが使用したことを告白した[16]。2年後の2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書において、禁止薬物を使用したとして名前が記載された。

2007年7月31日にパドレスの打撃コーチに就任し[17]2008年まで務めた。

2013年フィラデルフィア・フィリーズの打撃コーチ補佐を務め、8月のチャーリー・マニエル監督解任及びライン・サンドバーグ監督就任後は一塁コーチに転任となった。

2014年から2016年まではタイガースの打撃コーチを務めた。

エピソード

通算守備率.994[18]と巧みな守備が持ち味だったが、同時期に一塁手だったニューヨーク・ヤンキースドン・マッティングリーに阻まれ、ゴールドグラブ賞には縁がなかった。

ルーキーイヤーの1986年、敵地ヤンキー・スタジアムでのヤンキース戦で、試合中に観客席から一塁の守備位置に就いていたジョイナー目がけてナイフが投げ込まれる事件が起こった。幸い左腕に軽傷を負っただけで済んだが[19]、犯人は群衆に紛れて捕まらなかった。 その「報復」とばかりに、エンゼルスの本拠地アナハイム・スタジアムでのヤンキース戦では、ライトスタンドからヤンキースの右翼手デーブ・ウィンフィールドの守備位置付近にゴミが投げ込まれ、その中にはゴム製のナイフのおもちゃが含まれていた。

女性ファンからも絶大な人気を得たが、学生結婚しておりメジャーデビュー時には既に二児の父であった。

前述の通りドラフト指名後のエンゼルスとの契約、ノーヒッターの阻止、エンゼルスから解雇された日はいずれも誕生日である6月16日と、浅からぬ縁があった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1986 CAL 154 674 593 82 172 27 3 22 271 100 5 2 10 12 57 8 2 58 11 .290 .348 .457 .805
1987 149 653 564 100 161 33 1 34 298 117 8 2 2 10 72 12 5 64 14 .278 .358 .464 .822
1988 158 663 597 81 176 31 2 13 250 85 8 2 0 6 55 14 5 51 16 .295 .356 .419 .775
1989 159 654 593 78 167 30 2 16 249 79 3 2 1 8 46 7 6 58 15 .282 .335 .420 .755
1990 83 358 310 35 83 15 0 8 122 41 2 1 1 5 41 4 1 34 10 .268 .350 .394 .744
1991 143 611 551 79 166 34 3 21 269 96 2 0 2 5 52 4 1 66 11 .301 .360 .488 .848
1992 KC 149 633 572 66 154 36 2 9 221 66 11 5 0 2 55 4 4 50 19 .269 .336 .386 .723
1993 141 573 497 83 145 36 3 15 232 65 5 9 2 5 66 13 3 67 6 .292 .375 .467 .842
1994 97 417 363 52 113 20 3 8 163 57 3 2 2 5 47 3 0 43 12 .311 .386 .449 .835
1995 131 550 465 69 144 28 0 12 208 83 3 2 5 9 69 10 2 65 10 .310 .394 .447 .842
1996 SD 121 510 433 59 120 29 1 8 175 65 5 3 1 4 69 8 3 71 6 .277 .377 .404 .781
1997 135 518 455 59 149 29 2 13 221 83 3 5 0 10 51 5 2 51 14 .327 .390 .486 .876
1998 131 494 439 58 131 30 1 12 199 80 1 2 0 3 51 8 1 44 11 .298 .370 .453 .824
1999 110 386 323 34 80 14 2 5 113 43 0 1 0 3 58 6 2 54 8 .248 .363 .350 .713
2000 ATL 119 260 224 24 63 12 0 5 90 32 0 0 0 4 31 3 1 31 2 .281 .365 .402 .767
2001 ANA 53 161 148 14 36 5 1 3 52 14 1 1 0 0 13 0 3 18 3 .243 .304 .351 .656
通算:16年 2033 8115 7127 973 2060 409 26 204 3133 1106 60 39 26 91 833 109 38 825 168 .289 .362 .440 .802

獲得タイトル・表彰・記録

背番号

  • 21(1986年 - 1991年,2013年)
  • 12(1992年 - 1995年)
  • 22(1996年 - 1999年)
  • 24(2000年)
  • 5 (2001年)
  • 29(2007年 - 2008年)
  • 8 (2014年 - 2015年)
  • 20(2016年)

脚注

  1. ^ a b c d e f Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月23日閲覧。
  2. ^ Register Batting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月23日閲覧。
  3. ^ 1986 Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月23日閲覧。
  4. ^ a b c Play By Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月23日閲覧。
  5. ^ Texas Rangers at California Angels Box Score, June 16, 1986” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月23日閲覧。
  6. ^ a b First or Second Half” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月23日閲覧。
  7. ^ 結果的にこれが最初で最後の選出だった。
  8. ^ California Angels at Detroit Tigers Box Score, August 20, 1986” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月23日閲覧。
  9. ^ a b c Postseason Batting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月24日閲覧。
  10. ^ AL Rookie of the Year Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月24日閲覧。
  11. ^ AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月24日閲覧。
  12. ^ AL MVP Voting” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月24日閲覧。
  13. ^ 1996 Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月25日閲覧。
  14. ^ First or Second Half” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月29日閲覧。
  15. ^ Postseason Batting Game Log” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月29日閲覧。
  16. ^ Olney, Buster (2009年1月23日). “McGwire's brother about as bad as it gets”. ESPN.com. 2016年5月6日閲覧。
  17. ^ Padres replace Rettenmund with Joyner”. SignOnSanDiego.com (2007年7月31日). 2016年5月6日閲覧。
  18. ^ Standard Fielding” (英語). Baseball-Reference.com. 2021年5月29日閲覧。
  19. ^ 大谷人気で思い出す…エンゼルスの驚異の新人ウォーリー・ジョイナーzakzak

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の野球選手 ジャック・ブルーム  マット・ウィータース  ウォーリー・ジョイナー  マイカ・オーウィングス  ウェス・フェレル
アトランタ・ブレーブスの選手 アダム・ラローシュ  ジョー・ペピトーン  ウォーリー・ジョイナー  ジェリー・ロイスター  ティム・ハドソン
サンディエゴ・パドレスの選手 デービッド・ランドクイスト  ジャック・ハウエル  ウォーリー・ジョイナー  ジェリー・ロイスター  ジャック・カスト
ロサンゼルス・エンゼルス及びその前身球団の選手 マーク・ライアル  ジャック・ハウエル  ウォーリー・ジョイナー  フランク・ボーリック  マイク・ナポリ
カンザスシティ・ロイヤルズの選手 マーク・ライアル  マイク・スウィーニー  ウォーリー・ジョイナー  ブレット・セイバーヘイゲン  デーブ・ヘンダーソン
ミッチェル報告書に記載された選手 イスマエル・バルデス  ロジャー・クレメンス  ウォーリー・ジョイナー  ジャック・カスト  ライアン・フランクリン

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウォーリー・ジョイナー」の関連用語

ウォーリー・ジョイナーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウォーリー・ジョイナーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウォーリー・ジョイナー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS