1995年3月以降の特記事項とは? わかりやすく解説

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1995年3月以降の特記事項

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:25 UTC 版)

京成3200形電車」の記事における「1995年3月以降の特記事項」の解説

1996年平成8年12月には安全性向上のために、3294のMGCPが、廃車された初代3050形の機器から流用されることになり、MGは他の赤電冷房車と同タイプ大容量タイプに、CP交流タイプのAC-1000に変更された。 1999年10月以降3200形6M車・3300形コイルばね車の赤電6両固定編成も6両単位での検査入場基本になったが、3200形6M車はそれからしばらくは固定編成内で検査時期異なった車両がいたため、入場時には8両編成4両編成組まれた。これは2000年2月に3232 - 3229が4両単位出場した時点解消されている。 車体側面には筆記字体のKeisei更新後もロゴ車両番号ステンレス切り抜き文字表記されていたが、それに加え京成グループCI導入に伴い従来表記残したまま、2001年3月全車両の側面K'SEI GROUPロゴ貼付した。 車内マナー強化のため、2006年1月 - 2月に3225 - 3228・3237 - 3240・3261 - 3266・3275 - 3276・3279 - 3280・3295 - 3298の22両の優先席付近つり革を輪・皮共に黄色タイプのものに変更すると共に、窓には優先席を表すステッカー貼付された。これは2006年4月以降京成在籍するすべての通勤形車両実施されている。 3294・3298編成は、前述3150形と混結した1989年以降4両編成のみで使用されてきたが、2003年4月に3294編成の3293のリアクトル故障した際、同年5月末 - 6月中旬に3298編成と3292 - 3291が組み、以下の6両編成運用された。 3298-3297-3296-3295+3292-3291 →成田空港ちはら台 2003年7月中旬に3293が復帰したため、3294・3298編成ともに4両編成戻りこの異色編成消滅した。なお、6連組成時には特急快速といった優等運用こなしたが、組成解除までに都営浅草線乗り入れることはなかった。3294編成2004年平成16年1月廃車になったため、3200形片扉車同士の6連は更新冷房化後はこの時のみだった。

※この「1995年3月以降の特記事項」の解説は、「京成3200形電車」の解説の一部です。
「1995年3月以降の特記事項」を含む「京成3200形電車」の記事については、「京成3200形電車」の概要を参照ください。

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