1970年 - 伊部岳闘争とは? わかりやすく解説

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1970年 - 伊部岳闘争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 22:52 UTC 版)

北部訓練場」の記事における「1970年 - 伊部岳闘争」の解説

1970年12月林業依るやんばる人々は、実弾演習はしないという当初条件無視し強行しようとする米軍ぐるみで抗議し撤去させた。2009年8月15日国頭村百周年記念事業として伊部実弾射撃演習阻止闘争碑を建立した。そこには次のような内容刻まれている。以下要約する1970年昭和45年12月22日国頭村長あてに伊部岳を中心とした北部訓練場内に実弾射撃訓練場設置することを琉球政府通して電話通告してきた。26日国頭村議会は即、抗議決議採択し演習阻止明確に宣言した同日安田区では演習場設置反対評議会結成し住民ぐるみで動員体制整えた午後に米海兵隊一日から射撃演習をはじめるとの情報伝え緊迫する中で30日迎えた国頭村安田安波楚洲 の3集落では小中学生阻止行動参加した一方着弾地点には、子供高齢者除き最大動員して座り込み抗議阻止の旗を掲け、火を焚き、煙の合図強固な阻止体制完了したことを告げた31日迎えた国頭村長を先頭村民はじめ、支援団体600人が発射地点近く実弾射撃阻止大会開き着弾地点北側70人、南側200人の行動隊座り込み実力阻止有刺鉄線乗り越えて発射地点突入大混乱の中で、重軽傷者を出しながら体を張って米軍権力対抗して阻止実現。(中略) 持ち込んた砲弾ヘリ持ち帰り米軍正式に実弾射撃演習中止発表したこうした決死思い村民県民生命財産をはじめ、豊かな自然、水資源ヤンバルクイナノグチゲラなどの貴重な動植物を守ることができた。「森と水やすらぎの里といわれる山原の自然を守り育てようとした先人達の偉業を、伊部実弾射撃演習阻止闘争碑の存在通して、平和、命の大切さ学習し後世語り継ぐために、この地に伊部実弾射撃演習阻止開争碑を設置した

※この「1970年 - 伊部岳闘争」の解説は、「北部訓練場」の解説の一部です。
「1970年 - 伊部岳闘争」を含む「北部訓練場」の記事については、「北部訓練場」の概要を参照ください。

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