1970年 - 伊部岳闘争
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「北部訓練場」の記事における「1970年 - 伊部岳闘争」の解説
1970年12月、森と林業に依るやんばるの人々は、実弾演習はしないという当初の条件を無視し強行しようとする米軍に村ぐるみで抗議し撤去させた。2009年8月15日、国頭村は村制百周年記念事業として伊部岳実弾射撃演習阻止闘争碑を建立した。そこには次のような内容が刻まれている。以下要約する。 1970年(昭和45年)12月22日、国頭村長あてに伊部岳を中心とした北部訓練場内に実弾射撃訓練場を設置することを琉球政府を通して電話通告してきた。26日に国頭村議会は即、抗議決議を採択し演習阻止を明確に宣言した。同日に安田区では演習場設置反対評議会を結成し、住民ぐるみで動員体制を整えた。午後には米海兵隊か一日から射撃演習をはじめるとの情報を村に伝え、緊迫する中で30日を迎えた。 国頭村字安田 ・安波 ・楚洲 の3集落では小中学生も阻止行動に参加した一方、着弾地点には、子供、高齢者を除き最大動員して座り込み、抗議・阻止の旗を掲け、火を焚き、煙の合図で強固な阻止体制が完了したことを告げた。 31日を迎えた。国頭村長を先頭に村民はじめ、支援団体約600人が発射地点近くで実弾射撃阻止大会を開き、着弾地点の北側に70人、南側に200人の行動隊が座り込み実力阻止、有刺鉄線を乗り越えて発射地点に突入、大混乱の中で、重軽傷者を出しながら体を張って米軍権力に対抗して阻止実現。(中略) 持ち込んた砲弾はヘリで持ち帰り、米軍は正式に実弾射撃演習の中止を発表した。こうした決死の思いで村民、県民の生命、財産をはじめ、豊かな自然、水資源、ヤンバルクイナやノグチゲラなどの貴重な動植物を守ることができた。「森と水とやすらぎの里」といわれる山原の自然を守り育てようとした先人達の偉業を、伊部岳実弾射撃演習阻止闘争碑の存在を通して、平和、命の大切さを学習し、後世に語り継ぐために、この地に伊部岳実弾射撃演習阻止開争碑を設置した。
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