1970年代 - 通勤輸送の増強に追われる時期とは? わかりやすく解説

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1970年代 - 通勤輸送の増強に追われる時期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:13 UTC 版)

小田急電鉄のダイヤ改正」の記事における「1970年代 - 通勤輸送の増強に追われる時期」の解説

1971年4月19日改正では急行成城学園前駅停車開始したことにより、通勤急行廃止される とともに、朝ラッシュ時各駅停車優等列車待避駅変更され成城学園前駅経堂駅で1本ずつ待避することになった同年10月ダイヤ改正では、それまで新宿から松田までノンストップだった連絡急行あさぎり」の町田停車開始された。これは、気動車時代比較して3倍に増加した定員に対して利用者数が追いつかない状況となったため、乗車率改善同時に沿線利用者利便図ったのである1972年3月14日改正では、朝ラッシュ時限り準急経堂駅通過するように、夕ラッシュ時限り急行海老名駅停車するようになった快速準急廃止され準急統合された。それまでは朝ラッシュ時には1時間30本まで増発されていたが、編成両数増加により1時間29本に減少し増発余裕なくなっている。これ以後の朝ラッシュ時輸送力増強編成両数増加が主となる。なお、1964年地上3線(8両編成対応)・地下2線(6両編成対応)への改良工事終了した新宿駅であったが、輸送力増加に対応できず、さらに10両編成対応にする必要に迫られたため、1972年から再度改良工事開始され地上3線のみでの運用強いられることになった1972年12月18日改正では、急行終日海老名駅停車するようになった ほか、愛甲石田駅大根駅(現・東海大学前駅)についても急行停車駅に追加された。また、江ノ島線各駅停車大型車6両編成による運行開始された。1時間29本の内訳急行9本・準急10本・各駅停車10となった1974年6月1日改正では多摩線開通し新百合ヶ丘駅五月台駅栗平駅黒川駅小田急永山駅の各駅が開業した新設され新百合ヶ丘駅急行停車となったまた、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄千代田線霞ケ関駅 - 代々木公園駅開業に伴い代々木公園駅乗換え可能であった代々木八幡駅に、朝ラッシュ時準急停車開始された。 1977年7月1日改正では、新宿駅 - 本厚木駅間において急行10両編成運転が開始された。1時間29本の内訳急行10本・準急10本・各駅停車9本となった

※この「1970年代 - 通勤輸送の増強に追われる時期」の解説は、「小田急電鉄のダイヤ改正」の解説の一部です。
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