1970年代 - 通勤輸送の増強に追われる時期
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「小田急電鉄のダイヤ改正」の記事における「1970年代 - 通勤輸送の増強に追われる時期」の解説
1971年4月19日改正では急行が成城学園前駅に停車を開始したことにより、通勤急行が廃止される とともに、朝ラッシュ時の各駅停車の優等列車待避駅が変更され、成城学園前駅・経堂駅で1本ずつ待避することになった。同年10月のダイヤ改正では、それまで新宿から松田までノンストップだった連絡急行「あさぎり」の町田停車が開始された。これは、気動車時代と比較して3倍に増加した定員に対して利用者数が追いつかない状況となったため、乗車率の改善と同時に沿線利用者の利便を図ったものである。 1972年3月14日改正では、朝ラッシュ時に限り準急が経堂駅を通過するように、夕ラッシュ時に限り急行が海老名駅に停車するようになった。快速準急は廃止され、準急に統合された。それまでは朝ラッシュ時には1時間に30本まで増発されていたが、編成両数の増加により1時間に29本に減少し、増発の余裕がなくなっている。これ以後の朝ラッシュ時の輸送力増強は編成両数の増加が主となる。なお、1964年に地上3線(8両編成対応)・地下2線(6両編成対応)への改良工事が終了した新宿駅であったが、輸送力の増加に対応できず、さらに10両編成対応にする必要に迫られたため、1972年から再度大改良工事が開始され、地上3線のみでの運用を強いられることになった。 1972年12月18日改正では、急行は終日海老名駅に停車するようになった ほか、愛甲石田駅、大根駅(現・東海大学前駅)についても急行停車駅に追加された。また、江ノ島線各駅停車の大型車6両編成による運行が開始された。1時間29本の内訳は急行9本・準急10本・各駅停車10本となった。 1974年6月1日改正では多摩線が開通し、新百合ヶ丘駅、五月台駅、栗平駅、黒川駅、小田急永山駅の各駅が開業した。新設された新百合ヶ丘駅は急行停車駅となった。また、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線の霞ケ関駅 - 代々木公園駅間開業に伴い、代々木公園駅と乗換え可能であった代々木八幡駅に、朝ラッシュ時の準急の停車が開始された。 1977年7月1日改正では、新宿駅 - 本厚木駅間において急行の10両編成運転が開始された。1時間29本の内訳は急行10本・準急10本・各駅停車9本となった。
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