1970年代 最盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 14:23 UTC 版)
「スティーヴ・ミラー・バンド」の記事における「1970年代 最盛期」の解説
グレイトフル・デッドやジミ・ヘンドリックスらとのツアーやレコーディングを繰り返し、1970年のリー・マイケルズやナッシュビルのエリア・コード615、チャーリー・マッコイなど実験的なセッション・レコーディングの5thアルバム『ナンバー5』をリリース。この頃にはミラー以外のメンバーはすべて変わってしまう。またスティーヴ・ミラーは、1971年に起こした自動車事故により首を痛めてしまい長期間休養に入る。 1972年の後半にスティーヴ・ミラー、ジャック・キング(ドラムス)、ジェラルド・ジョンソン(ベース)、ディッキー・トンプソン(キーボード)で活動を再開。フリートウッド・マックらとツアーを行い、翌1973年に8thアルバム『ジョーカー』をリリースする。アルバムは100万枚を超えるプラチナ・ヒット作となり、翌年初頭にシングルカットされた「Joker」は全米チャート1位を獲得した。 1976年に旧知のロニー・ターナー、ドラマーのゲイリー・マラバーとともに9thアルバム『鷲の爪』をリリース。400万枚を超えるプラチナを記録した。先行シングルの「テイク・ザ・マネー・アンド・ラン」は全米11位、シングルカットされた「フライ・ライク・アン・イーグル」は全米2位を記録し、スティーヴ・ミラー・バンドのキャリアで最盛期を迎える。次作『ペガサスの祈り』(1978年)の頃には、アリーナやスタジアム級のライブを展開していたが、このツアー終了後に一度活動を休止する。
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