1970年代・さらなる輸送力増強
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「神奈川中央交通」の記事における「1970年代・さらなる輸送力増強」の解説
1970年代になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進むことになった。1971年に入居を開始した多摩ニュータウンでは、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられることとなり、神奈中と京王が輸送を担当した。さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった。 また、自家用バスによる送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し、1975年以降は特定バス事業にも着手した。運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行ったことによって特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている。1976年には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能な自由乗降方式の採用も開始した。 関連事業においては、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、1974年5月までに一部の店舗を除いて撤退することになったが、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を1976年10月から開始し、これをきっかけとしてテニススクールやフィットネススタジオなど、スポーツ事業への参入も開始した。また、不動産業では沿線外の宅地分譲も行うこととなり、1974年から1985年までに兵庫県三木市・愛知県名古屋市・岐阜県岐阜市・秋田県秋田市での宅地分譲を行っている。また、市街地の再開発などにあわせて、自社用地に建設したビルを使用した賃貸業務も拡大させている。この他、老朽化した営業所建屋を改築した際に生じた空きスペースを利用して、食堂業へ進出することとなり、1977年10月24日からは「サッポロラーメンくるまや」(当時)と業務提携を行うことによってラーメン屋の営業も開始している。
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