1965年の橋とは? わかりやすく解説

1965年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 06:21 UTC 版)

堀切橋」の記事における「1965年の橋」の解説

永久橋設計1940年昭和15年)頃から既に着手され種は90メートル上流側荒川橋梁けられていることもあって、取り付け道路長くなるが、通行者の視界狭めることのない上路式採用されている。また、架橋地点軟弱地盤周辺地盤沈下観測されていたため上部工は沈下に強いとされるゲルバー鋼鈑桁橋採用し下部工1940年当初設計段階では同様の理由工費要する井筒基礎採用し、低水路径間割は上流にある荒川橋梁一致させていて7径間64メートル等間隔であったが、実際に採用されたのは鋼管杭基礎径間割も変更されている。また、架橋位置荒川橋梁のすぐ下流側変更されている。 三代目である「新堀」と称した現在の永久橋1960年昭和35年)に着工され1965年昭和40年)に完工され、同年6月開通した長は514.5メートル幅員17メートル綾瀬川部分長さ60メートルである。上部工の施工は主径間三菱重工業(現、エム・エムブリッジ)、側径間宮地鉄工所(現、宮地エンジニアリング)が担当しケーブルクレーンによるステージングベント工法により架設が行なわれた。なお、開通当時取り付け道路周囲民家密集する地域で、用地買収絡みからまだ未完成だったまた、荒川部分のみの仮開通で、綾瀬川部分はまだ未完成だったため、その間堀切小橋がその役目担った左岸側道路用地に掛かる鉄工場移転遅れたため、取り付け道路完成したのは1967年昭和42年8月のことだった。現在はこの新堀堀切橋と呼ぶ。旧橋撤去され旧橋とほぼ同じ場所に首都高速6号向島線新荒川橋けられている。なお、堀切小橋1976年昭和51年3月に旧堀切小橋のやや上流側位置架け替えられている。

※この「1965年の橋」の解説は、「堀切橋」の解説の一部です。
「1965年の橋」を含む「堀切橋」の記事については、「堀切橋」の概要を参照ください。

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